4月, 2012 Archives

水仙月の四日

4月 11th, 2012
ようやく嵐が納まった。
我が家では停電と光ファイバーの断線という最小の被害で済んだ。
昨年の震災時も感じたことだが、こういう自然の猛威の前での無事は、たまたま運が良かったというほかにはない。
もちろん、物理的な備えとか心構えなども無事の度合いを高めてくれるだろうが、自然の猛威とは、そんな人間の行いを軽々と越えて、呑み込んでしまうものだ。最後の最後は、たまたま助かったか、助からなかったかが残る。もし、前者であるならば、ただ感謝するしかないと思う。

それはさておき、この時期にこういう嵐があって思い起こすのは、賢治童話のひとつ「水仙月の四日」だ。
本当に素敵な童話なので、僕もいろんなところで綴ってきた。確か、ここでも昨年に書いたように記憶している。
繰り返しになる部分も多いと思うけれど、せっかくなので書いてみたいと思う。

物語は、春の嵐の一夜を描いたものだ。嵐といっても舞台はイーハトーヴ岩手のことだから当然、吹雪の嵐だ。
この雪嵐を起こす存在として登場するのが、雪婆んご(ゆきばんご)、雪狼(ゆきおいの)、雪童子(ゆきわらす)という、雪の精たちだ。
彼らにとって、「水仙月の四日」とは、吹雪のお祭りのようなもので、とにかく大暴れして、猛烈な吹雪とするのが常らしい。

賢治は「水仙月の四日」について、実際の暦で記してはいないが、「カシオピイヤ、もう水仙が咲き出すぞ お前のガラスの水車 きっきとまわせ」と雪童子が言っているところをみる限り、きっと、4月の4日頃だろう。
これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、初めて「水仙月の四日」を読んだ小学生の頃からずっとそう思ってきた。とはいえ、僕が育った奈良には四月の残雪もなく、水仙もほとんど見ない。おそらく水仙のひとつやふたつはあっただろうが、気候からみて水仙が咲くのはきっと1月ぐらいのことだろうと思う。それでも、なぜか4月4日のことだと思ってきた。

そして、それが正しかったことを知ったのは岩手に移住できたからだ。26歳で岩手に移住して何度か冬を経験しているうちに、僕が想像していたことは間違っていなかったことを実感として得れたのだ。

4月の初頭になると、僕が暮らす雫石では、まるで冬が終わってしまうことを抵抗するかのように、よく吹雪くのだ。
もちろん、先日のような台風めいた嵐ではないのだけれど、雪雲が空一面に広がり、大粒の雪がどさどさと降ってきて、風がびゅうびゅう吹いて大荒れの日が必ずやってくる。
そんな春の吹雪を何度か経験しているちに、「ああ、これが賢治の描いた水仙月の四日だ」と、すんなり理解できたのだ。
吹雪の先には、小さい頃からの憧れだった赤い舌をべろべろとはいて空を駆け巡る「雪狼」も、白熊の毛皮の三角帽子をかぶった「雪童子」
の姿は見つからなかったけれど、ごうごうと鳴る風雪があたりを覆い尽くす気配は、まさに「水仙月の四日」だった。

今でも僕は、岩手に移住して良かったことのひとつは、「水仙月の四日」を感じることができたことだと思っている。賢治が描いた世界を実際のものとして体感すること。それは、このイーハトーブに暮らすものの大きな贅沢だと感じる。

「水仙月の四日」の物語で重要な存在となるのは、赤いケット(毛布)をかぶって雪原を歩く男の子だろう。
男の子は、山で炭焼きをするお父さんの手伝いをした後、一人で家まで帰る途中に、この水仙月の四日の吹雪で遭難してしまう。
普通であれば、凍死する場面。しかし、雪を降らせる雪童子が「倒れておいで、ひゅう、だまってうつ伏せに倒れておいで、今日はそんなに寒くないんだから」と言い、さらに激しく雪を降らせる。
そして、その言葉通り、吹雪の翌朝、男の子は何とか死なずに済んだような少しあいまいな記述があり、物語が終わる。

突然襲ってきた春の吹雪、そして遭難し、何とか死なずに済んだ男の子。物語を一言で説明するとこうなる。
男の子が死なずに済んだのは、雪童子が同情し、「おや、おかしな子がいるね。そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、一人や二人とったっていいんだよ」と言う雪婆んごの言葉に反して、雪の中で眠るように仕掛けたからだが、それはあくまで物語の話だ。もし、この遭難が現実だったとしたらどうだろうか。
男の子が助かった理由は、いくつもの幸運が重なってとしか言うことができないだろう。神を持ち出せば解決するだろうが、ここでは自然の人間の関係においてだ。
やっぱり、子供が助かった原因は見つからない。理由はないが幸運だったというだけだ。

でも、こうした因果なき幸運については、賢治が一番言いたかったことではなかろうか。

その印象的な一説が、雪童子が、男に「そうして睡っておいで、布団をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで」と雪を男の子にかけてやってから、「あのこどもは、ぼくのやったやどりぎを持っていた」とつぶやく部分だ。
この「やどりぎ」というは物語の冒頭、雪狼と雪童子が雪原で遊んでいるシーンで登場する。

栗の木に宿り、金色の実をたくさんつけて大きなマリのような姿をした「やどりぎ」を見つけた雪童子は、雪狼に向かって「とっておいで」と言いつけるのだ。
そして、このやどりぎの枝を手にした雪童子は、その後で雪原で遭難することになる子供を見かけ、ちょっとしたいたずら心からやどりぎを子供に投げつけるのである。
子供の目には当然、雪の精である雪童子の姿が見えるはずもない。にもかかわらず、空からやどりぎの枝が降ってきたのでびっくりするのだが、とりあえず、目の前の枝を拾い上げて、再び家に向かって雪原を歩き始める。

このやどりぎは何を意味するか。賢治は語ってはいない。ただ、子供は拾い上げ、それを見ていた雪童子は、子供を助けると物語を進めていくだけだ。
このやどりぎが子供の生死を分けたと考えるのは行き過ぎだろうか。でも、僕はずっとそう考えてきた。

雪童子にとっても子供にとっても何の意味も持たないやどりぎの枝。おそらくそれは、雪童子と子供、そのどちらにとっても登下校中の子供が道端の石ころを何の気もなく拾ってポケットにしまったという程度のものだろう。
その程度のものなのだから、子供がやどりぎを拾ったことが、雪童子の同情を誘ったのでもないと思う。しかし、子供は確かにやどりぎを持っていて、それが理由ではないのだが助かることができた。

結局、運、不運というものはこういうものではないだろうか。
因果関係はもちろん、理由も何もない。それが命のような大きなものを分かつ。
これを言い換えると「不条理」と呼ばれるものにつながっていくのだろうか。
賢治童話を貫くもののひとつは確かに「不条理」だ。これこそが、すべての存在を平等にする。すべての人の幸福を願った賢治だが、逆に言えば、その賢治のその思いとは、すべての人に隔てなく不幸が存在するということを肯定する。
そう考えると賢治は、幸福も不幸もない交ぜになった存在として、物語中に「やどりぎ」を登場させたのかもしれない。

水仙月の四日の嵐が過ぎ去った朝、雪狼を連れた雪童子たちが、顔を合わせ挨拶をする。

そのとき交わされる言葉は、「ずいぶんひどかったね」「ああ」「今度はいつ会うだろう」「いつだろうねえ、しかし今年中に、もう二へんぐらいものだろう」というものだ。

先日の嵐のように、春の吹雪に出会うたび、僕はこの雪童子たちの会話を思い起こす。

そして、果たして、雪童子たちはその後、会うことができたのだろうかと思いを巡らせる。
「もう二へんぐらいだろう」。確かに、一度か二度あるかないか。賢治が「水仙月の四日」と名付けた春の吹雪の後は、いつもそれぐらいの雪で、この土地では春になっていくようだ。
でも、なぜだか、僕の記憶には、春の大嵐が何度も来たという記憶はない。
春の吹雪の後、いつもどちらかというと、ずんずんと雪解けが進んで、知らぬ間に冬が押しやられ、春になっていくように感じる。

それとも、僕が、再び雪童子と雪狼がやってきたことを気づいていないのだろうか。
でも、きっとそういうものなんだろう。
あの場所にもう一度立ってみたい。あの日にもう一度かえってみたい。あの人にもう一度会ってみたい。
そんな風に思うことは少なくないけれど、もう一度、というのは気がつけばいつも遠く離れてしまっている。

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