3月, 2012 Archives

はじめて見るもの

3月 24th, 2012
先日、短角牛の出産を撮影するため、旧山形村に行ってきた。
実は、昨年もちょうど今頃、短角牛の出産を撮影していた。
その後この場所で、生まれたばかりの短角牛の持っている生命のリアリティー、家畜としての厳しい運命について、感じたことを書いた。(2011/3/4 冬の子牛

今年は、幸運が重なって昨年よりもじっくりと丁寧に、母の肉体から生まれ出る子牛たちを見つめることができた。
「出産」という出来事は「すでに知っていること」であるはずだった。
確かにすでに知っていた。
破水し、産道から、通常であれば前脚が出てきて、母牛が一生懸命いきんで、羊水で黒々と濡れた子牛がこの世に生まれ出る。
もうもうと立つ湯気、そして、濡れた赤ん坊の身体をなめあげる母牛、それを静かに見守る牛の飼い主…。
そう、今年も牛の出産とは、実際にその通りだった。

しかし、実際は「すでに知っていること」ではなかった。
「衝撃」と言っていい。出産を見つめた僕の心情は大きく揺さぶられた。目の前にある光景、そのすべてが「はじめて」だと思えた。
光景の細部に宿るもの-匂い、湿度、音、光、動くもの。そのすべてが誰にも見られたことがない、本当に真新しい世界のように思えた。

たとえば、子牛が産道から出てくる瞬間、子牛たちは皆、舌を突き出している。
理由は僕にはわからない。ましてや人間の赤ん坊もまたそうなのかと訪ねられても知る由もない。
ただ、子牛たちは皆、薄紅色の舌をすらりと口の外に出しながら母親の肉体から出てくるのだ。

ここに神秘を感じ、僕はこの光景を驚いたのでは決してない。
ただ、子牛たちが皆そろって舌を出して生まれてくるという揺るがしようのないリアリティーに震えたのだ。
「出産」に限ったことじゃない。すべての光景の意味は後付けだろう。何よりも先にリアリティーがそこにあるだけだ。
きっと、写真も言葉もすべて、そのリアリティーを後から追いかけているにすぎないのだろう。

そして、僕が最も驚き、最も心に残った光景が、生まれたばかりの子牛の瞳だった。
母牛が何度も横腹を収縮させ、ふうふうと強く呼吸する。
すると、もうもうと湯気をあげながら、産道から子牛が出てくる。
そのとき、子牛は一枚のヴェールをまとっている。羊膜だ。羊膜はまるでゼリーか寒天のように半透明だ。
その一枚の羊膜の向こうに子牛がいるのだが、そのとき、子牛たちは皆、瞳を開いているのだ。
しかし、その段階では、何も見えていないのだろうか。
羊膜越しに見る子牛の瞳はどこかうつろだ。
しかし、最後、母牛が大きくいきみ、子牛の全身が外の世界にぬらりと放り出された瞬間、そう、羊膜が音もなく破れた刹那だ。
温かで居心地の良い母親の肉体とは比べようもなく厳しい外界へと出た瞬間、子牛の瞳は覚醒するのだ。
青い宝石めいたその瞳は、横倒しになった顔の真ん中で、まるで別の生き物のように躍動する。ぐるんと瞳が開くのだ。


きっと「見えた」のだろう。はじめて、世界を「見た」のだろう。
そしてその瞳がぐるんと動いた直後、子牛は何かを吐き出すようにげっと喉を鳴らし、大きく横腹を波打たせ、はじめての呼吸をする。
子牛の誕生だ。
子牛がこの世界に迎え入れられたのではない。力ずくで世界の襞を開いてみせたかのように強い呼吸だ。

母親はさっそく生まれたばかりの子牛の身体を愛おしそうになめる。
子牛は、思い頭をよろよろと上げ、バタンバタンと滑稽な失敗を繰り返しながら首をもたげる。
さらに、はじめて竹馬をする子供のようにふらつきながら、そのアンバランスに長い脚の上に身体を持ち上げる。
「出産」という出来事はこうして終わる。
あとに来るのは、出産とはまた違った物語だろう。

羊膜の先に出た子牛が見た「世界」とはどういうものだっただろうか。
僕はそれをずっと考えている。
どういう色をして、どういう形をしていたのだろうか。
果てのない空想である。
でも、何かを見たこと、そして、そのとき見えた何かに何かを見出したとしたら、それは何だろう。
「生きよう」という思いだろうか。
いや、そんな陳腐なことではないだろう。
「生きる」ということは、生命の大前提だ。そこからしかすべては始まり得ない。

でも、それ以外に何かあるだろうか。
「生まれてきたこと」の意味についてだ。
僕たちは、誰かの役に立ちたいとか、愛したいとか、子孫を残したいとか、後世に残る仕事をしたいとか、友人に恩返ししたいとか、何より、自分らしく生きたいなどと、いろんな理由を探そうとする。
人生にはきっと目的や目標がある。と同時に、誰にも生まれきた理由がある。
僕もずっとそう思ってきた。

でも、本当にそうだろうか。
子牛が生まれてきた理由は何だろうか。
家畜として考えるならば人に食べられることが彼らの生命の役割といえるのだろうか。
でも、そう考えることにどうにも納得できないのはなぜだろう。
本当にこの世に生まれ落ちる理由や目的などあるのだろうか?

もっと、子牛が「はじめて見た光景」を受け取るように、「生きること」を見直せないだろうか。
邪魔をしているのは、「理由」だ。
きっと、生きることの理由なんかどこにも見つかりはしない。
生まれてきたことに理由なんか見つからないように、生きることも、死ぬことにも理由なんか見つからないのかもしれない。

それでも、たとえそうであっても、生命は生きようとする。したたかにたくましく、そして辛抱強く生まれ、生きようとする。
そういう生命がこの世界には、ただどこまでも「在る」のだろう。
僕たちは、本当にその小さなひとつに過ぎない。
きっと、そういうことだ。
それを肯定していけば、僕たちはもっと強くなれるだろうか。

ずっと写真を撮り続ける人がいる。
これまでいろんなところで紹介しているので、ご存知の人も多いと思うが北海道に暮らす「井上弁造」というお爺さんだ。
僕が弁造さんにはじめてあったのは今から14年程前のこと。以来、定期的にその暮らしを撮らせてもらっている。
弁造さんは、今年で92歳になる。
当然、その人生は一言で語れるものではない。北海道開拓のなかでの暮らし。戦争経験、戦後の混乱、そして個人として夢や思い。
時代というものに翻弄されたこともあり、人生は波瀾万丈だったと言っていいだろう。
でも、誰かの人生と比較することなんて不可能だ。弁造さんの人生とはきっと、誰にとってのそれと同じようなもので、上手くいったことも上手くいかなかったこともあるというものにすぎないと思っている。

そんな弁造さんがいつだったか、僕に猛烈な剣幕で言ったことがある。
「あんたにとって、俺の人生はどう見える? 幸せだったと言えるか?」
なぜ、弁造さんはあれほどの剣幕で叫んだのだろう。

弁造さんに会いに行くとしょっちゅう喧嘩する。理由はいつもささいなことだ。
おそらく、あのときもちょっとしたことで喧嘩していたのかもしれない。
でも、弁造さんのあの真剣な眼差しは、そのときの僕にとってはじめてだったと思う。
弁造さんの人生を知りたい。いかに生きてきて、いかに死んでいくか、それを見たいと切望していた僕が、はじめて弁造さんの心根に触れたと思えた瞬間だった。

そのときの僕は、弁造さんの問いに答えられるわけはなかった。
弁造さんの人生の細部はよく知っていたけれど、判断を下せるものは何もなかった。
それは今も同じことだ。
弁造さんの人生が幸せかどうかなんて決められるわけはないし、そもそもそんなことを考えようとも思わない。
それは、生命が「そこに在ること」に理由がないように、人生を右か左に決めることなんてできることなんてできるわけはない。
きっとそれは、家畜として生まれてきた子牛が幸せかどうかを問うようなものだ。

でも結局のところ、僕は何もわかってはいないのだろう。考えれば考えるほどそれを痛感する。
そうであるならば、やはり、子牛がはじめてその瞳をぐるんと動かし、何かを見つめ、げほっとはじめての大気を肺に取り込み、この世界に飛び込んできたように、「はじめて見る光景」をただ在るものとして受け入れていきたいと思う。

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