岬の旅

2月 9th, 2012
先週、約1週間かけて、福島の南相馬から岩手の久慈まで、海の旅をした。
今、旧街道を旅する単行本を作っていて、その本を仕上げるための再取材という旅だった。
震災後の道の状況など確認しなくてはいけないことがいくつかあったからだ。

震災後10ヶ月の被災地で見聞したことはまたの機会に書くとして、今回の旅で新鮮な思いを抱いたのは、三陸海岸という大地の造形だ。

典型的なリアス式海岸として知られる三陸海岸ではあるが、南と北ではその様相は大きく異なる。
宮古から南半分は、岬と深い入り江が鋸の歯のように連続して並ぶ穏やかな景観だ。
この景色を彩るのは波だ。入り江を満たすさざ波は、跳ねる魚のごとくきらきらと陽光を撒きながら動き続けていた。

一方の北側の海岸線は、文字通り断崖となる。
こちらは、海から山がそそり立つと表現すればいいだろうか。
海抜0m地帯からほぼ垂直といってもよいほどの角度で海抜200mにも及ぶ海岸段丘が隆起している。
この断崖の上に立ち、どこまでも広がる太平洋を望むと、誰もが「地球」という言葉を思い浮かべるだろう。
聞くところによると、三陸海岸の隆起海岸は、太古の時代から続く地殻運動によって生まれたという。そして、この地殻運動は今も続き、断崖は成長しているとも。
日常を離れ、「地球」という大きな視座を得る。ここはこういう場所なのだと思う。

こうした断崖で有名な場所に、田野畑村の北山崎がある。三陸北部の断崖美を堪能できる場所だ。
しかし、僕は北山崎よりも少し南にある鵜ノ巣断崖が好きだ。
観光地として整備された北山崎に対し、鵜ノ巣断崖は野性味が残る。断崖に先端には柵と小さな展望台があるだけで、つま先の向こうは150m下の海だ。
高所ゆえ恐怖感もないわけでもないが、そんなことよりも、自然が生み出した造形に目を奪われる。
北では、胸を張った巨大な岩壁が居並び、南では一本の岬がぐいと沖に向かって身を伸ばす。
そして波。波は遥か沖からうねりとなって陸を目指している。
この波の運動は不思議な感動を呼び起こす。
遠い水平線の彼方から、休むことなく陸地に向かって旅を続ける波。
それが風で生まれるとか、海流で生まれるとか、そういう机の上での知識を持っていたとしても、実際に目の当たりにすると、言いようのない不思議さのなかに放り込まれる。なぜ、波は陸を目指すのだろうかと、あてどもなく。

今回の旅では厳寒のなかではあったが、鵜ノ巣断崖で夜明けを迎えた。
波がやって来るもっと遠くから赤々と燃える太陽が昇り、その光と熱で風景が息を吹き返すのを眺めた。
神々しさ、それはこの場所では決して大げさではない感情だろう。

とくに南側の岬の姿が美しかった。
岬は、海にしつらえた長く美しい桟橋のようだった。
それは、漠然と「旅のはじまり」を連想させた。
見知らぬ海に旅立つため、長い長い岬の桟橋の先を目指す。
旅の目的地はきっとどこでもよく、旅に出ることに意味があるのだと岬は教えてくれているようだった。

ふと、津軽の西海岸にある小さな岬のことを思い起こした。
そこは、鵜ノ巣断崖とは比べるべくもない小さな岬だった。でも、同じように美しい場所には違いなかった。
そして、そこは土地の人から「賽の河原」と呼ばれていた。
海に暮らすその土地では、逝った人の魂は海原の向こうへと旅立つものとされていた。
海原のその向こうが、楽園であるのか、あるいは茨の刺に覆われた野であるのか、僕は知らない。
ただ、盂蘭盆と呼ばれる頃、海原の果てから魂は長い旅を続けて故郷に帰ってくるというのだ。
岬は、その魂が最初にたどり着くところ。あの世とこの世を分かつ場所だと伝えられてきた。
そこで、土地の人は、花を胸に抱いて岬に立ち、先に逝った懐かしい魂を迎えるのだという。
とはいえ、魂の棲まう場所は、やはり海原の果てだ。
盂蘭盆(うらぼん)が終わる頃、魂は再び懐かしい家族に送り出され、あの世へと岬の先から旅立っていく。
哀しくも美しい旅。西津軽の岬とはそんな場所だった。

鵜ノ巣断崖の岬が土地の人にとってどういう場所であるのかはわからない。
しかし、人は自然のなかに様々な意味を見出していく生き物であることには違いない。
三陸海岸には無数の岬が存在する。
それは、この土地が無数の物語を持っていることを暗示していると、僕は思えてならない。

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ブログ:From The Darkroom

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