2月, 2012 Archives

雪が遠ざけるもの

2月 27th, 2012
何となく春めいてきた。
北国にとって、春は喜びの季節だ。
とくに今年のように大雪に見舞われた地域にとっては待ちに待った季節といえるだろう。
しかし、だからといって雪がそのままネガティブなものではないだろう。
雪の季節があっての春の輝きがある。
それは、死があっての生、光があっての陰と同じことで、雪を他の季節と分つことは決してできないだろう。
もし、雪の降る冬がなければ、きっとこの土地の春や夏は色褪せたものになるに違いない。

そして、雪ほど、人の精神に訴えかける季節はないように思う。
僕が雪の降らない土地で育ったからよけいに感じるのかもしれないが、雪は思索を育む。
わかりやすく言えば“気づき”というものかもしれないが、日常において忘れがちな感情をすっと立ち上がらせる。

たとえば、雪の夜が過ぎ、夜が開ける。
僕の家は森のなかに立っているので、窓の向こうは雪化粧を施した木々が立ち並ぶ光景だ。
柔らかな冬の朝日を浴び、きらきらと光る雪原と木々の姿は、ため息が出るほどに美しい。
この風景を見ながら、今日も新しい朝が始まったことを知る。
いつの時代だろうが、朝は毎日、新しい。昨日と同じ朝なんて絶対にない。
しかし、そんなことすら僕たちは忘れがちだ。昨日と同じ時間の続きでしか、今日という朝を捉えていない。
でも、そこに雪があるだけで、誰ひとり歩いた跡のない、雪原の起伏を見るだけで、今という時が生まれたばかりの時間であり、新しい朝だということを教えてくれる。
それはきっと、僕たち自身にあてはまることだろう。新しい時間を歩もうとする僕たちもまた常に生まれ変わり続けている存在ではないだろうか。

先日の雪との出会いも印象的だった。
雪が積もると、静けさが増すと同時に匂いが消える。寒さも手伝ってのことだろうが、雪の森を歩いていると匂いはほとんど意識の外にある。
これは春などと大きな違いだ。春は、水から、土から、様々な匂いが立ち上ってくる。
しかし、だからだろうか。匂いのない雪の上では逆に匂いに敏感になることも確かだ。
うっすらと香るものがより強く感じられるのだ。
先日は雪のなか、牛たちを撮っていて、そのことに改めて気がついた。

激しく降るなかでの撮影だった。
牛たちは、大きく枝を広げた大樹の下、雪を眺めるように静かに立っていた。
しかし、僕が近づいてきたことを知ると、数頭の牛が僕の方へと向かってきた。
牛は好奇心の強い生き物だ。見慣れない人を見つけると、確認するために寄ってくるのだ。
その日も牛たちは、カメラを持った僕に興味を覚え、お腹を雪原にこすりつけながら、ゆっくりと近づいてきた。

牛たちは真白な息を吐いていた。
息は、牛の大きな顔を包むようにふわふわと膨らみ、雪のなかに音もなく消えていった。
と同時に僕に牛たちの体臭が届けられた。
どこか甘く、香ばしい牛たちの体臭。それは濃厚なまでの湿度をも含んでいた。けっして初めて嗅ぐ匂いではなかったが、かつて経験した匂いとはどこか違っているように思えた。
雪が体臭の純度を高めてくれたのだろうか。
牛たちの体臭は、それ自体が生命そのものの体温のようで、僕は思わず、牛たちに抱かれているような感覚を味わった。
降りしきる雪のなか優しく温かな牛たちだった。

愛犬のさくらの体毛に顔を埋めるときもそうだ。さくらの真っ黒な体毛一本一本には持ち主であるさくらの匂いと、体温が宿る。
そのふたつはそのまま生命への実感でもある。

雪はある意味で無の世界だ。その下に無数の生命が眠っていることは知っていても、感覚の上では静寂が勝っている。
でも、だからこそ、そこに立つ牛たちの生き物としての存在感が濃厚に立ち上がってきたのだろう。
雪は、生命のリアリティーを伝えてくれたのだ。

牛たちの体温を感じながら、思い返したのがある若い探検家の言葉だ。
エベレストの頂上付近のいわゆるのデスゾーン(通常の状態では生命を維持をするのが難しい高所)においても酸素補給なしで単独登頂をチャレンジし続けている若い探検家は、生命の危険を侵す理由をこんな感じに語っていた。
デスゾーンでは、とにかくつらく厳しい。しかし、その厳しさのなかでこそ、ベースキャンプだったり、日本だったりで自分を支えてくれる人たちの大切さを知ることができる。その大切さをより強く感じるために山に登る…と。

ちらっと見た雑誌に書かれていたことなので、もしかしたら正確に読み取ってはないかもしれない。
誤解を恐れずに書くと、彼は、日常生活においては感じることができないことを知るために自らの生命を賭して山に登っているということを言っていた。
僕はそれを読み、彼の行為は英雄的ではあるが、もしかしたらとても哀しいことかもしれないとも思った。
自分を支えてくれる人の大切さを思い知るには、自らの生命の危機を侵す必要がはたしてあるのだろうか。
それはきっとある、彼には。
でも、あまりにも不器用ではないだろうか。
彼が感じたいことは本当に命を賭してしか得られないことだろうか。
普段の日常において、普通に話したり、笑ったり起こったりするなかで人の大切さの知ることは困難なことなのだろうか。
もし、それを彼ができたなら、デスゾーンの先ではもっと違ったこと、本当にデスゾーンでしか感じることができない、ある意味、超越的な世界と出会えると考えられないだろうか。

でも、きっと彼の言うことは本当なのだろう。
人は、自らの身を置く日常から少し離れることで、“日常”を満たす何かを感じ、知ることができる。
実際に、僕たちはちょうど一年前の震災を通じて、日常のなかに宿る本当に大切なことに気づいたのだから。
デスゾーンではない場所でも大切なものが見つかるはずだと思うのは、冒険を諦めた者の羨望なのかもしれない。

再び雪が激しさを増しつつあった。
たぶん一緒に遊んだりしなかったから飽きてしまったのだろう。僕の周りから牛は去っていき、再び樹の下に集まって立っていた。
大きく枝を広げる樹の下で並び立つ牛たちの姿は、まるで樹の下で輪になって何かを祈っているようにも思えた。
もし、牛たちが祈りを持っているとすれば、それはどういうものなのだろうか。
何を願い、何を夢見るのだろう。

冒険では決してないが、雪という現象は、僕たちから日常の世界を少しだけ遠ざけてくれる。
この土地では、それが毎年必ず、誰のもとにもやってきてくれる。

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岬の旅

2月 9th, 2012
先週、約1週間かけて、福島の南相馬から岩手の久慈まで、海の旅をした。
今、旧街道を旅する単行本を作っていて、その本を仕上げるための再取材という旅だった。
震災後の道の状況など確認しなくてはいけないことがいくつかあったからだ。

震災後10ヶ月の被災地で見聞したことはまたの機会に書くとして、今回の旅で新鮮な思いを抱いたのは、三陸海岸という大地の造形だ。

典型的なリアス式海岸として知られる三陸海岸ではあるが、南と北ではその様相は大きく異なる。
宮古から南半分は、岬と深い入り江が鋸の歯のように連続して並ぶ穏やかな景観だ。
この景色を彩るのは波だ。入り江を満たすさざ波は、跳ねる魚のごとくきらきらと陽光を撒きながら動き続けていた。

一方の北側の海岸線は、文字通り断崖となる。
こちらは、海から山がそそり立つと表現すればいいだろうか。
海抜0m地帯からほぼ垂直といってもよいほどの角度で海抜200mにも及ぶ海岸段丘が隆起している。
この断崖の上に立ち、どこまでも広がる太平洋を望むと、誰もが「地球」という言葉を思い浮かべるだろう。
聞くところによると、三陸海岸の隆起海岸は、太古の時代から続く地殻運動によって生まれたという。そして、この地殻運動は今も続き、断崖は成長しているとも。
日常を離れ、「地球」という大きな視座を得る。ここはこういう場所なのだと思う。

こうした断崖で有名な場所に、田野畑村の北山崎がある。三陸北部の断崖美を堪能できる場所だ。
しかし、僕は北山崎よりも少し南にある鵜ノ巣断崖が好きだ。
観光地として整備された北山崎に対し、鵜ノ巣断崖は野性味が残る。断崖に先端には柵と小さな展望台があるだけで、つま先の向こうは150m下の海だ。
高所ゆえ恐怖感もないわけでもないが、そんなことよりも、自然が生み出した造形に目を奪われる。
北では、胸を張った巨大な岩壁が居並び、南では一本の岬がぐいと沖に向かって身を伸ばす。
そして波。波は遥か沖からうねりとなって陸を目指している。
この波の運動は不思議な感動を呼び起こす。
遠い水平線の彼方から、休むことなく陸地に向かって旅を続ける波。
それが風で生まれるとか、海流で生まれるとか、そういう机の上での知識を持っていたとしても、実際に目の当たりにすると、言いようのない不思議さのなかに放り込まれる。なぜ、波は陸を目指すのだろうかと、あてどもなく。

今回の旅では厳寒のなかではあったが、鵜ノ巣断崖で夜明けを迎えた。
波がやって来るもっと遠くから赤々と燃える太陽が昇り、その光と熱で風景が息を吹き返すのを眺めた。
神々しさ、それはこの場所では決して大げさではない感情だろう。

とくに南側の岬の姿が美しかった。
岬は、海にしつらえた長く美しい桟橋のようだった。
それは、漠然と「旅のはじまり」を連想させた。
見知らぬ海に旅立つため、長い長い岬の桟橋の先を目指す。
旅の目的地はきっとどこでもよく、旅に出ることに意味があるのだと岬は教えてくれているようだった。

ふと、津軽の西海岸にある小さな岬のことを思い起こした。
そこは、鵜ノ巣断崖とは比べるべくもない小さな岬だった。でも、同じように美しい場所には違いなかった。
そして、そこは土地の人から「賽の河原」と呼ばれていた。
海に暮らすその土地では、逝った人の魂は海原の向こうへと旅立つものとされていた。
海原のその向こうが、楽園であるのか、あるいは茨の刺に覆われた野であるのか、僕は知らない。
ただ、盂蘭盆と呼ばれる頃、海原の果てから魂は長い旅を続けて故郷に帰ってくるというのだ。
岬は、その魂が最初にたどり着くところ。あの世とこの世を分かつ場所だと伝えられてきた。
そこで、土地の人は、花を胸に抱いて岬に立ち、先に逝った懐かしい魂を迎えるのだという。
とはいえ、魂の棲まう場所は、やはり海原の果てだ。
盂蘭盆(うらぼん)が終わる頃、魂は再び懐かしい家族に送り出され、あの世へと岬の先から旅立っていく。
哀しくも美しい旅。西津軽の岬とはそんな場所だった。

鵜ノ巣断崖の岬が土地の人にとってどういう場所であるのかはわからない。
しかし、人は自然のなかに様々な意味を見出していく生き物であることには違いない。
三陸海岸には無数の岬が存在する。
それは、この土地が無数の物語を持っていることを暗示していると、僕は思えてならない。

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