12月, 2011 Archives

釜石小学校校歌

12月 13th, 2011
知人で演劇プロデューサーの沢野いずみさんより、芝居のフライヤーが届いた。
タイトルは、もりげき八時の芝居小屋 第120回「Reading flash2012 井上ひさしREMIX」というものだ。
作家の井上ひさしさんの作品を盛岡の演劇人たちが舞台化するもので、フライヤーには、「劇作家・小説家・エッセイスト…様々な顔を持つ演劇界の巨匠・井上ひさしさんへの、私たちのリスペクト舞台」とある。
芝居については全くの門外漢なので詳しく説明することはできないが、沢野さんはじめ、架空の劇団のくらもちひろゆきさんが関わるものだけに、とても興味深い舞台になることだろう。日時は来年1月25~27日。興味のある方はぜひ、足を運んでいただきたい。

さて、このフライヤーを沢野さんに送ってもらった理由は、フライヤー用に写真をお貸ししたからだ。
もうずいぶん前のことだが、このフライヤーを作るにあたり沢野さんから出たリクエストは、「震災の海を見せながらもの希望の感じられるものを」というものだった。
舞台内容がどれぐらい震災に触れるのかは定かではないが、震災はひとつのテーマになっているという。
「でも、決して、瓦礫とかそういうのだけで震災を伝えたいんじゃないです。震災があっても、負けないような、希望みたいな、きれいな海みたいな…」と沢野さんはもどかしそうに電話の向こうでいった。
この話を聞いたとき、正直、沢野さんはなぜそれを写真にしようと思ったのだろうと疑問を覚えた。
写真は撮ったか撮らないかにつき、何より、当たり前だがどこまでも写実的だ。簡単に言えば写っていないものは写っていないのだ。
もし、震災後という今から「震災の光」のようなものをビジュアルにしたければ、きっと「写真」よりも「絵」の方が作りやすいのではないかと思ったのだ。

でも、沢野さんはおそらく「絵」ではない「写真」に何かの力を感じ、わざわざ僕に声をかけてくれたに違いない。そう僕は思い直し、「少し考えてみます」と電話を切った。

その夜、いろいろなことを考えた。
震災における希望とは何か。
今回の震災では多くの尊い命が失われたが、幸いにして僕の近しい人で亡くなった方はいなかった。
また、僕は家が流されたわけでもない。
そんな僕が震災をきちんと感じ、また、そこからの希望を見ることができるか。
それは僕にとっては荷が重いというよりは、いまだ立ち入ってはいない領域だと思われた。
でも、簡単にさじを投げることはしたくなかった。
そこで、僕なりに震災を最も間近に感じた時に撮ったフィルムを改めて見直した。

フィルムは、震災から約半月後の3月末から4月頭にかけて、福島の相馬から青森の八戸まで車で寝泊まりしながら撮ったものだった。
何かに発表しようと思って撮ったのではなかった。
岩手には縁もゆかりもなかった僕がひょんなことから岩手に住むようになり、それが12年たって、何となくこれからもずっと岩手に住んでいくんだろうなと思った矢先に起きた震災。自分と土地に関係を知るうえでも、震災がどういうものなのかを見てみたいと思って出かけた旅の記録だった。
もちろん、物見遊山で出かけることには罪悪感もあった。何人かの知り合いに物資を届けるという目的はあったが、それは正直言うと無理矢理の理由付けに過ぎなかった。単純にどうしても見ておきたかったのだ。

旅は10日間と少しだった。
何を見れたということではない。
現地を見ることで、震災という事象を自分の中で現実のものとして捉えることができるなどという生易しいものではなかった。
僕はただ、果てしなく広大な土地に横たわる、まさに悪夢としか呼びようがない自然の猛威のなかを車で走っただけだった。
その後、機会があって何回も被災地には足を運んだが、結局、今でも悪い夢を見ているだけではないかという印象をぬぐえないでいる。
そんな程度だから、旅で撮り得たものも何もなかった。
フィルムにはただただ瓦礫と海が写っているだけだった。

でも、希望という意味では、ひとつだけ思い当たることがあった。
それは海の美しさだった。
人間の価値観ではあるが、陸はどこまでも無惨だった。
しかし、海という自然は、その人間の価値観をはめ込んでみても美しかった。
そして、光もまた美しかった。
早朝、海から昇る赤い太陽の光は澄みわたり、浜を洗う渚は宝石をまいたようだった。
多くの生命を奪った海と知りつつもやはり美しいと思えた。
その海に向かって僕は何度もシャッターを切っていた。
瓦礫を前に涙する母と娘、ぼんやりと惚けたように瓦礫の中を歩く老人、静かな眼差しで行方不明者を探す自衛隊員…。光る海には、旅で見た光景が重なり続けたが、それが何を意味するのかわからないままシャッターを切った。何枚も切った。

結局、沢野さんから電話もらったその夜、僕は海の光を撮った写真を選んだ。
希望なのかどうかわからないけれど、美しいものには何かがあると思ったからだ。

今日、沢野さんから届いたフライヤーは折り畳まれており、それを開いていくと一面にそのとき撮った写真が現れた。
朝焼けの砂浜の真ん中には、鉄骨の瓦礫が転がり、泡立つ波はその瓦礫と、朝日できらめく砂を洗っていた。
そして、明けようとする空には、井上ひさしさんが作詞した「釜石小学校校歌」がデザインされていた。
僕は、砂粒を拾うようにして校歌を読んだ。はじめて触れる歌だった。

「釜石小学校校歌」

いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す

しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手とてをつないで しっかり生きる

井上ひさしさんは、昨年の2010年の4月9日にお亡くなりになっている。
当然、震災のことは知らない。過去に起こった三陸の津波や、宮城県沖地震の発生が予想がされていたことは知っていたはずだが、これほど大規模な津波が押し寄せるとは想像していなかっただろう。
しかし、この歌に託されたメッセージはどうだろうか。
津波が起こり、その悲しみを背負った人がいかに生きていくべきか。
この歌にはその方法のすべてが記されているような気がする。

孤独であっても、すくっと立ち、歩き、大きな声で友を呼び、手をつないで生きていく。
寄り掛かるのではない。救いあげるのでもない。
自らの星と他者の星に横たわる遥かな世界を認め、それでも互いの存在を認めつつ光を送り合い、生きていく。
そして、悲しみや孤独さえも自らを生かす糧とする。
そんな風に井上ひさしさんは言っているように思う。

優れた言葉は生き続ける。
こうして、時を越えて、必要なとき、必要な者へとやってきてくれる。
「言葉」も「写真」も、「表現」とは本来そういうものなんだろう。


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