健太郎さんの言葉

10月 27th, 2011
先日、南部鉄器作家の佐々木健太郎さんを久しぶりに訪ねた。
同じ雫石で工房を構える佐々木さんだが再訪したのは数年ぶりのこと。
でも自宅の隣ある工房の雰囲気は全く以前と変わりなく、いかにも「制作途中」といった空気感が漂う工房内の佇まいも数年前と同じだった。

秋田県鹿角出身で、若い時に上京して鋳物工場で鋳鉄(ちゅうてつ)を学んだ後、盛岡で南部鉄器職人として制作を続けてきた佐々木さん。何十年に渡って鉄瓶を作ってきての現在の作風は、「現代の暮らし」に寄り添ったものだ。
鉄瓶を使う理由は今も昔も湯を沸かすために尽きるが、沸かすシーンは以前と大きく変わった。
茅葺き民家の囲炉裏に吊るすという姿は簡単に見れないものだし、このままIHコンロが普及していけば、火を使うということも少なくなっていくのかもしれない。
そんななかで健太郎さんが探し求めているのは、鉄瓶本来の制作スタイルと本質はそのまま保ちながら、軽く持ちやすく、IHにも対応できる鉄瓶のかたちだ。
健太郎さんのこの模索はいくつかの作品として結実しているが、もちろんそれで完成というのではなく、常に考え続けているという。

その一方では、健太郎さんは、「最近は、なかなか新しい形が見出せねえんだよね。そんなに忙しくもないのによ」と嘆いてもいた。
どうやら健太郎さんのなかには、忙しくて夜も昼もなかった若い頃、それでも自分なりの鉄瓶を見つけ出そうと、時間をやりくりして作品作りに没頭していた時代がひとつの基準としてあり、それに比べたら今はまるで駄目だ…と感じられるのだという。

もちろん、今の健太郎さんがスランプということではないのだろう。
研鑽し、積み重ねてきた技術を駆使し、安定したモノ作りを行う。それができる今は、きっと若い頃よりも優れた品質を生み出せているに違いない。それでも、健太郎さんのなかでは、「若い時分に比べたら…」ということになるのである。

果たして、健太郎さんが抱くギャップは埋められるものなのだろうか。
撮影を続けながら、僕が思い起こしたのは「本を読むこと」についてだった。

僕は子供の頃から本を読むことが好きだった。
いわゆる本の虫というほどではないが、文字を覚えてからこれまで、身の回りには何かしら読みかけの本があったような気がする。
しかし、読みたい本をみんな読めてきたかといえば、まったくそんなことはない。
あれも読んでおけばよかった、これも読んでおけばよかったと思う本をあげたらキリがない。
少し前までは、こういう本については、いつか読んでやるぞと思っていたのだが(実際に買ったままになっている本も少なくない)、最近は、それはきっと無理なのだろうと思うようになった。
本とはある意味、出会いであって、出会えるときのタイミングを逃せば、読む日はやってこないということに気づいたからだ。
なぜ、そう思うようになったかについては、これまでの人生経験を生かしての感覚でしかないのだが、今の僕はそう確信している。
いや、本だけではない。何事においても逃したタイミングを再びつかまえることはできないのだ。

少年時代に覚えた驚き、青春時代に気づいたこと、写真を撮るようになって見えるようになったこと。すべてがその時期、その瞬間に与えられたものであって、同じものが別のタイミングでやってきても、大切な経験や気づきとして残らないような気がする。

少し話はそれてしまったが、健太郎さんのものづくりにおいても同じようなもので、新しいものを追い求めた若い時代と、ベテランの域を迎えた今を比べると、大きなギャップが生まれて当然なのだろう。
でも、ものづくりとはそういうギャップを真摯に見つめ、では、今の自分に何ができるかと追求することでしか、自らの今を象徴するものは生まれないというものなのだろう。

では、振り返ってみて、僕自身の今はどうだろうか。
写真を自らの中心に置くようになって、もうずいぶんたつ。
初めて一眼レフを手にし、シャッターを押した日のことは昨日のことのように鮮やかに思い起こせるが、遠い過去のことだ。
あの日以来、いくつシャッターを押してきただろう。そして、いくつのシャッターが僕を変えてくれただろう。

子供の頃、ある人から教えられた言葉がある。
その人は英国人なのだが、わずか17歳のときに親の反対を押し切って北極探検隊に加わったことで、後の人生を変える貴重な体験にめぐりあったという。
北極の写真を見せてくれた後、自らの人生を振り返りながらその人はこういった。
「誰の人生にもたくさんの出会いがある。でも、誰もが一度逃した出会いとは二度と出会うことはできない。人生とはチャンスを掴むことができるか、できないか。その繰り返しなんだよ」
青い瞳をしたその人の名は、C.W.ニコルだった。

いくらでもシャッターは押すことはできる。カメラはいつも僕の指に素直に反応してくれる。
しかし、一度押したシャッターと同じシャッターを押すことは二度とできないのだ。
写真に触れれば触れるほど、懐かしさが増すというのはそういうことだからだろうか。

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