8月, 2011 Archives

森の人

8月 16th, 2011
新しい撮影が始まった。
岩手の県北、浄法寺の漆掻きの世界を一年に渡って追うというものだ。
日本人にとって、「漆」というものはとても身近だ。
暮らしのまわりには、お椀をはじめとする漆塗りの生活道具が必ずあり、「漆塗り」という言葉を知らない人はいないだろう。
でも、それはあくまで「記号」としての「漆塗り」であって、その本質は案外知らなかったりする。
かくいう僕もその通りで、岩手に暮らすようになった縁で国内の漆事情を知ることができた。

「国内」と書いた理由は、漆塗りというものがこれほど身近な存在であるにもかかわらず、国内で生産されている漆は限りなく少ないからだ。
津軽塗り、輪島塗りなど、漆塗りを産業とする産地は全国にいくつも存在するが、実はそこで使われている漆のほとんどが中国産なのだという。
中国産漆だから質が劣るとか劣らないといった議論は別にして、国産の漆と中国産の漆は樹種そのものが異なるため、仕上がりもまた違うものらしい。日本産の漆は、色艶が深く、手触りもより滑らかで耐久性にも富んでいるのが特徴だそうだ。

そして、現在、国産漆のほとんどが岩手の浄法寺近辺で採集されているという事実はあまり知られていないことだ。
かつて、漆の生産はそれこそ全国各地で行われていた技術だった。しかし、戦後の高度成長期のなかで徐々に衰退し、気がついてみれば産地として成立するのは岩手の浄法寺ぐらいになってしまった。今は、そういう状況なのだという。

ではなぜ、浄法寺の漆掻き(うるしかき)だけが残ったか。
浄法寺の漆掻きの歴史は古く、藩政時代には、漆生産が産業として奨励され、漆木の植林などが行われてきた。
また、浄法寺にほど近い安比は漆塗り職人の町としても知られ、多くの塗り物が生産されてきた。
さらに歴史を遡ると、浄法寺には古代から中世にかけての東北の仏教文化の最北の地と考えられる御山天台寺があり、仏具などの必要性から漆掻きおよび塗りが発達したとも考えられる。

こうした漆にまつわる文化がこの地に存在してきたことが、漆の里「浄法寺」の今を作っていることは間違いないだろう。
しかし、漆掻きが残っている一番の理由は、この地が「鄙(ひな)」とでも呼ぶべき、辺境の地だったからにほかならない。
漆掻きだけではない。岩手県北には、戦後の日本が成長していくなかで忘れてしまったもの、捨て去ったものが多く残っている。
もちろん意図的に「残した」ものもたくさんあるだろうが、その大部分が「残ってしまった」ものだ。
地理的、気候的に辺境であるからこそ、結果として、古来からの美しき知恵をまとった世界が残ったのだ。


過去、幾度か浄法寺の漆掻きにカメラを向けてきたが、これはまさに奇跡的に残っている世界だといつも感じる。
漆を単なる塗料としてみれば、いくらでも代わりになるものがある。
しかし、使用感や保存性などを突き詰めていくと「漆」のほかにないということにも気づく。
そう考えると、時代は変わろうとも、漆を採集するという技術は不可欠なものになるのだが、「漆掻き」という技術はそう簡単なものではない。
漆の幹に傷をつけ、そこから滲み出た樹液を掻き取る。漆掻きをひとことで説明するとこうなるが、この行為には見えない知恵、技術が幾重にも層を成している。しかも、これらの技術はつい最近まで文字化されることがなかった。師匠の仕事を盗み見て、弟子が覚えるといった口承にも至らない繊細な伝承スタイルで存在してきた。
そうした実に困難かつ伝承も不確定な技術がこの地で今も存在しているということ。本当に奇跡的なことだと思う。

また、僕が漆掻きの世界に触れ、胸騒ぎにも感覚を覚える理由は、これが、森に生きる世界に関わることだからだ。
東北は言うまでもなく縄文世界の空気を濃厚に伝える土地だ。
縄文の時代、東北は今よりも少し気候が温暖で、人々は森に糧を求めて暮らしていた。豊穣の森。イメージではあるが、そういう場所に人は暮らしていたのだろう。
縄文人の暮らしは狩猟採集で定住はしないという見識はかつてのもので、現在の研究によると農耕や定住もしていたという。
しかし、縄文人の森への依存は、後の日本人とは比べようもなく大きかったことだろう。
おそらく縄文人にとって、森は暮らしの基盤であり、また生命の揺りかごと呼ぶべき、神秘的な空間だったに違いない。そして、そんな時代にすでに漆の利用が存在していたという事実がある。

これは、決して驚くべきことでもないような気がする。
縄文人の森への深い知識があれば、漆を利用することはある意味、当たり前だろう。きっと、様々な樹種のなかから一番最適なものとして、漆の利用を導き出していたに違いない。

そうした知恵がこの地では絶えることなく、連綿と続いてきた。
絶えてしまった土地がたくさんあるなかで、様々な要因から続けられ、人を生かす知恵として受け継がれてきた。
先に「残ってしまった」と書いたけれど、やはりここにはこの地に生きる人の「森」との関係があったからこその必然であるとも感じる。

東北を歩くと、人と森が実に近いことに気づく。
人のそばにある森は里山だが、その里山が誰も近づくことができないような深い森につながっていること。また、森は「モリノヤマ」であり、祖霊が還る場所でもあること。こうした物理的、精神的にも重層的に連なる森こそが「森」であること。東北の人間の意識にはこうした普遍的な「森」の姿が流れているように思う。

漆を掻く「掻き子(かきこ)」たちは、本質的な「森」に最も近い存在だろう。
漆の木は、掻き子に傷を付けられると、樹液を出す。この樹液とは、人肌の傷から出る体液とその意味は同じだ。
漆が自らの傷を治そうと樹液を出すのである。
しかし、漆の木に傷を付ければ、すぐに出るというものでもない。
掻き子たちは、樹勢を見極め、初夏から秋にかけて、継続的に樹液を出すようにしむけていく。
その行為は、傷を付けることには違いないけれど「育てる」と称する。
ただし、漆が出す樹液は、その時点では人間に対し、ある意味、有害なものだ。
安易に触れると火傷にも似たカブレを起こさせる。それでも、掻き子たちは独自の技で樹液を手なずけ、自在に掬い上げ(すくいあげ)ながら、せっせと森の中の歩き続ける。

掻き子に掻かれた漆は晩秋には切り倒され、死を迎える。しかし、その漆木の生命は、艶やかな滴となって人の暮らしに入っていく。
森と人をつなぐ存在。もしかしたら掻き子の役割はそこにあるのかもしれない。

魔法にも似た技術を用い、森を感じ、樹と語る「森の人」。
森に点在する漆の樹を訪ね歩き、漆を掻く人の姿はそんな風にも見える。

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