5月, 2011 Archives

田の表情

5月 31st, 2011
田植えが始まったばかりの雫石に少し後ろ髪を引かれる思いだったが、ずっと撮らせてもらっている弁造さんに会いに行くため、北海道に行ってきた。
弁造さんについては僕のHPで少し紹介させてもらっている。

もし、ご興味がおありの場合はこちらをご覧ください。

それはさておき、北海道もちょうど田植えが真っ盛りだった。
北海道の農業といえば、酪農やじゃがいもアスパラガスなどの野菜をイメージしがちだが、そうした風景が見られるのは主に道北、道東などで、道南、道央など比較的温暖な地域は、大水田地帯となっている。
もちろん、元来は南方の作物である水稲が北海道の地に簡単に根付くはずはなく、圧倒的に広い北海道の大地に広がる水田風景は、絶え間なく続けてきた品種改良の成果なのだろう。

道南、道央は、岩手の気候とよく似ている。
道央にはここ10年以上、四季を通じて通っているけれど、春の芽吹き、秋の紅葉、初雪など、季節の移ろいの時期も似たようなタイミングで、海峡を渡ることをのぞけば、地続きのような感覚で捉えることも不可能ではない。

今回も旅のなかで見たのは、春紅葉と呼ばれる多彩な色彩で飾られた新緑の山並みを背景に、植え直しを行う農家の方の姿を含めた風景の美しさで、それはまさに岩手も含めた北の地特有の穏やかさを物語っているように感じた。

とはいえ、同じ水田でも大きな違いもある。
それはやはり、田んぼ一枚の大きさの違いだ。
岩手で田んぼを数えるときの言葉でよく聞くのは、「一反歩(いったんぶ)」という単位だ(もともとは、米1石分を収穫できる田の大きさを指したそうだ)。
一反歩は約300坪で、一般的に一枚の田んぼの大きさを指す場合に使われる。
もちろん、近年は大規模農業を見据えた土地改良によって、一反歩以上の田んぼに広げられている場合も少なくない。
それでも、この「一反歩」という大きさの概念は生きていて、田んぼだけではなく、畑や森の大きさに言及する場合などでも頻繁に用いられる。
ところが、北海道では、一反歩という大きさでは小さすぎる。一反歩を10倍にした一町歩というのが概念的に本州で言うところの一反歩程度の大きさとなっているように感じる。
また、近年は基盤整備がますます進み、2町歩ほどもあるどこまでも広大な田んぼも少なくない。
これほど大きな田んぼであっても、田植機で植えた後は、人が田に入って植え直しをする必要があり、それを眺めていると思わず気が遠くなってしまうほどだ。

この大きさの概念の違いは、人の思考にも影響しているように感じる。
北海道の農家と話をしていて感じるのは、広げることへの情熱だ。

言うまでもなく北海道の歴史は土地を拓くことにあった。
生産力の乏しい北の地で生きていくためには大きく拓くこと。それがこの土地で生きる方法だった。
そして、大きく拓くための道具が西洋式の農業だった。
たとえば、僕が通っている新十津川町の場合、明治期に開拓が始まった。開拓を志したのは奈良県の十津川村の人々で、明治22年に起きた大災害によって村が壊滅した結果の集団移転だった。
災害の翌年、十津川村の人々は、徳富川上流のトック原野の開拓を始めたのだが、畑を拓くために行ったのが原生林を焼くことだった。
人々は、立ち並ぶ大木を一本一本まわって樹皮をむき、森全体を立ち枯れさせると、そこに火を放った。
マサカリで樹を切り倒すなど実に悠長な話で、どこまでも広がる原生林を拓くには、こうした方法しかなかったという。
こうして拓かれた広大な大地は、西洋式の大規模農法によって、わずかな年月で農地へと生まれ変わっていったのである。

北海道の農家の「広げること」への情熱はまさにこうした歴史が生んだといえるだろう。

一方で本州、岩手の人は広げるという情熱が道民に比べ、希薄に感じられる。
僕自身は農家ではないので、まるで見当違いな部分もあるかもしれないが、岩手の人は決められた土地の大きさのなかでどう活用するか。その部分を大切にしているように感じる。
それが今という時代にはもしかしたらそぐわないのかもしれないけれど、やりくりしながら、小さな土地を活かそうとする。
岩手の農家にはたいていの場合、庭におばあちゃんが管理している家で食べるための野菜畑があるものだが、北海道にそういう風景は少ない。
あの広大な土地を前にしたら、家の裏庭に猫に額ほどの畑をこしらえるなんて想像もできないことなのかもしれない。

また、岩手という土地の農業には「ほどほど」という感覚も強いように思う。昔から受け継がれてきた方法で「ほどほど」に作る。
それは先祖がこの方法で生きてきたという信頼感に依るものだと僕は思う。
一方の北海道は、ほどほどでは生きられない。人の足跡ひとつない原生林、しかもそれが軽くマイナス20度を越える冬に支配されるとなると、「ほどほど」なんて感覚ではどうしようもない。
北海道の人の豪快さ、そして先進性は、このあたりの部分が源となっているのかもしれない。

北海道と岩手、どちらが優れていると言っているのではまったくない。
人と土地の関係の在り方は歴史そのものであり、簡単には代用できない世界が存在している。
それこそが「風土」と呼べるものであり、「文化」の源でもあると思う。
優劣とはもっとも遠い世界だ。

もちろん、農業だけではない。土地には土地の生き方、考え方があるように思う。
それが目下のところ、僕の一番興味のある部分だ。

たとえば岩手の山奥の小さな村に住み、星空を眺めて暮らす豊かさと奥深さは、飛行機に乗って、広い世界を見聞するような暮らしで得たものとは、比べることさえできないだろう。

思えば僕が岩手に暮らし、最初に感動したのは、土地に暮らす人たちの豊かな世界観だった。
敬愛してやまない炭焼き職人のおじいさんは、「生まれてことのかた読んだ本は尋常小学校の教科書ぐれえで、しかも何にも覚えていねえ」と笑い飛ばすが、おじいさんの人生に必要な知恵は、眼の前にある山や川から十二分に得ることができたのだと思う。

結局のところ、精神の深みや豊かさといったものは、手にした情報の量や読み終えた本の数、ましてや学歴などとは無縁で、自分が向かうべき「場」と深い関係を結ぶことから生まれてくるのだろう。
そして何より、この「深さ」を得ることで、その「場」で生きていくことが心地よくなっていくに違いない。

自らが生きる土地で得た精神をどのように育てていくか。僕たちが「土地」というものの上で生きている以上、いつの時代であっても大切なことだと思う。


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春の日

5月 19th, 2011
今年の4月は冷たい風が吹く日が続いたせいか、桜の開花はなかなか進まなかった。
それでも咲き始めると本当にあっという間なもので、ほとんどの桜は葉桜となってしまった。

桜の季節が終わると、風景には人の姿が目立つようになる。
田に水を導き、りんごの花の受粉作業を行い、野菜の苗を植える。
遠くの山はまだ雪景色だけれど、里は一気ににぎわいを強めていく。

北の地における、この時期の空気感は少し不思議だ。
気温がまだ低い時期も多く、風も強い日もある。
そんなときは、乾燥具合も手伝ってか、澄み渡る沢の流れのように透きとおった空気感となる。
それは、凛と凍てつき、冴え冴えと澄む厳寒期の空気感と似ているようでやはり違う。

言葉を駆使すれば、多くのことは表現できるとは思うけれど、春の空気感のニュアンスはなかなか伝えにくい。
大気の膨らみ、有機質の匂い、大気に舞う木々の花粉、いろんなものが混じり合い、この空気感があると思うのだが、端的に説明するのはやはり難しい。

また、澄み渡る空気感がある一方で、不透明な空気感もまた春の日の特徴だ。
暖かで湿度が高く風のない日に多い。
雪の山はぼんやりと霞み、田の脇を流れる水もどこか粘度が高いようにも見える。
ひとことで言ってしまうと春霞というものなのだろう。でも、僕が育った関西地方の春とこの地の春はやはりどこか違う。
そして、これもまた言葉で説明するのは難しい。

この時期、日々の仕事をこなすために撮影地まで車を運転していると、どうしても寄り道して写真を撮りたくなることが少なくない。
撮った写真を何かに使うということでもないし、これまで続けてきているテーマの一環としての写真ということでもない。
何となく撮っておきたくなる。
そして、撮る写真は圧倒的に逆光が多い。

花の蜜に誘われる蜂のように、目を細めながら空からあふれてくる光に近付き、シャッターを押す。
上手に撮れることは少ない。
眼で見る光の美しさ、それがちらちらと移ろいゆく様子は、なかなかカメラで捉えられるものではない。

それでもやはりシャッターを押す。
光のそばには水があることも多い。水と光にほとんど区別はない。同じものだと、
ファインダーをのぞくたびに思う。

花にもよくカメラを向ける。花に興味がない人と比べるとそこそこ詳しい方だと思うが、とくに野花の写真を集めているわけでもない。
きれいだと心が動くことは間違いないが、僕の写真の本筋ではないと思っている。
それでも、この時期に花にカメラを向けるのは、花びらが光を通して、柔らかでいて色気のある逆光を生み出してくれるからだ。
マクロレンズを使い、葉脈といえばいいのだろうか、花びらに浮かぶ細い血管のようなテクスチャーを見ていると、なんとも不思議な気持ちになる。
もしかしたら、こうして光を見ている僕の眼の奥の奥でも、細い細い血管が光に照らされ、いつもより明るい赤をまとっているのだろうかと思ったりする。

先日は通りすがりに満開のリンゴ畑を見つけた。
忙しく畑仕事をするおばさんに声をかけるとアーリージョナと呼ばれる品種だと教えてくれた。
「ずいぶんと大きな花をつけるんですね」と僕が言うと、おばさんは「実もおっきなのがつくんだよ」と言って笑った。
僕にとっては、満開の畑で仕事をするおばさんの姿こそ本当に撮りたいものだと思ったが、なぜかそうお願いはせず、「花を撮らせて欲しい」と畑の中に入っていって、
アーリージョナの花をたくさん撮った。
花弁は傾き気味の光をいっぱいに浴びて光っていた。

そうして写真を撮りながら、なぜか収穫の秋まで僕がアーリージョナという名前を覚えていることはないだろうと思った。
でも、また、春の道でりんごの花と出会ったら、そこにある光で急にアーリージョナという記憶を呼び起こすこともあるだろう。

春はいつも、いつしか必ずめぐりめぐってやってくる。
そして、新しい春の後ろには、いつかの春も付いてくるのかもしれない。


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桜咲く春

5月 2nd, 2011
先日、再び被災地に赴いた。
久しぶりに会う釜石の知人の顔は、震災被害の大きさを感じさせないほど明るく、ほがらかだった。
しかし、出てくる話は、ちょっと想像ができないほど、悲惨な話ばかりで、改めて震災の凄まじさを思い知ることとなった。
とはいえ、ただただ悲惨な話だけでもなかった。

迫り来る津波を前に他者を救おうとした人。一人暮らしのご老人を訪ね歩き、食料を配り歩いたこと。震災直後に駆けつけてくれた友人たち。
そこには、日常とはまた違った部分での人間の強さや思いの深さがあるように思えた。
もし、大災害を前に希望があるとすれば、おそらく人間の本質に関わる尊厳や優しさの増加なのかもしれないと、知人の笑う顔を見て思った。

報道で語られている通り、被災地も春がやってきていた。
あちこちに桜が咲き、山は芽吹きつつあった。
1週間もすれば、山は一面、鮮やかな新緑に彩られ、“山が笑う”といった表情になることが見て取れた。
それはこの地の毎年変わらない姿だった。変わってしまったのは新緑に笑う山の下にある人の暮らしだけなのだろう。

春になれば桜が咲き、山は新緑に萌える。海は風が吹けば荒れ、時がたてば穏やかな姿に戻る。
人間は、こうした自然の営みに心を添わせてきた。
とりわけ、繊細で美しい四季を持つこの国で生き続けてきた日本人にとって、自然とは自らの心象を映す鏡のような存在としてあり続けた。
三陸沿岸は周知の通り、世界でも有数の美しさを誇る海と暮らしが息づく土地柄である。
この地の人にとっては、自然は自らを抱くものであり、また自らのなかにも自然を見いだしてきたに違いない。

しかし、今回の震災は、この地に暮らす人からそのすべてといってもよいほどのものを奪い去り、破壊した。
自然は人間を抱く事をやめ、人間もまた自らのなかに自然を見いだすことができなくなったのだろうか。

それとも震災の末に咲き誇った桜は、人間に対し、罪滅ぼしの思いでこれまで以上に美しい花を咲かせたのだろうか。

僕たちが震災で学んだことは、おそらく自然とはそういうものではまったくないということだ。
人が自然に心を寄り添わせるのはまったくの勝手なのだろう。
自然から糧を得るのも、自然保護に心血を注ぐのも、すべて人間の自然に対する意思や行動だ。
しかし、自然は基本的には無関心なのだと思う。
人間に対して。森に生きる動物に対して。植物に対して。

そこにある生命の思いなどまったく意に関せず、地震をおこし、津波を送ってくる。
そしてその後、瓦礫の中に桜を咲かせるものなのだ。

しかし、だからといって、僕たちが自然のなかで生きることを止めないわけにはいかない。
自然の中に自分たちの立ち位置を見いだし、そこで日々を築いていくことしかない。
そして、これまでと同じように、こちらにはまったくもって無関心な自然の懐にそっと入り込んで、いろいろなものをもらい受けてくる。
自然はそういう僕たちの行動を否定することも許可することもなく、大きく存在し続ける。それが自然というものであり、僕たちと自然の距離なのだろう。

しかし、もしかしたら、自然が無関心を続けてくれたそのおかげで、いつしか僕たちの行動が行き過ぎたのだろうか。
自然の懐を目指しているつもりが、いつしか懐を通り過ぎ、遠く離れてしまったのだろうか。
津波が海原を突き進むことになるその先に原発を用意していた僕たちは、自然が僕たちのことを無関心になる以上に、自然に対し、無関心になっていたのかもしれない。

被災地から帰宅した翌日、北上の展勝地に向かった。
北上川沿いには約90年前に植えられた無数の桜木たちが一斉に春の陽光に向けて、枝を伸ばしていた。
枝先では数えきれんばかりの花が咲き、さらに数えきれんばかりのつぼみが風に揺れていた。

人々は桜が咲いているだけでほかには何もない川沿いの小道を、これ以上の幸福はないと言わんばかりの笑顔で歩いていた。
若い恋人同士は手をつなぎ、子供たちは親を手を引いて走った。空を仰ぎながらゆっくりとした足取りで進むおじいさん、おばあさんもいた。

わずか数日間限定の桜のトンネルの下で、人は確かに自然に声をかけ続けていた。
返答はないのかもしれないが、声をかけること、それこそが喜びに違いなかった。

ときおり、馬車が通り、そのたびに歓声がわき起った。

自然が自然であることは変わりなく、そのなかで暮らす人もまた変わりない。
きっとそういうことなのだろう。

明日にはもう桜は散り始め、人々は散る花びらを惚れ惚れと見つめ、名残惜しむに違いない。


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