3月, 2011 Archives

祗園精舎の鐘の声 ぎおんしょうじゃのかねのこえ
諸行無常の響きあり しょうぎょうむじょうのひびきあり
娑羅双樹の花の色 しゃらそうじゅのはなのいろ
盛者必衰の理をあらは(わ)す じょうしゃひっすいのことわりをあらわす
おごれる人も久しからず おごれるものはひさしからず
唯春の夜の夢のごとし ただはるのよのゆめのごとし
たけき者も遂にはほろびぬ たけきものもついにはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ ひとえにかぜのまえのちりにおなじ


幼いころ、母の口から幾度となく聞いた言葉だ。
これが平家物語の冒頭にあたると知ったのはずいぶん後のことで、僕にとっては母からの諭しの言葉だった。


僕の生まれ持った自分の特徴だと思うのだが、物ごころついたときからたいていのものは器用にこなせた。
人よりも抜き出てということはまるでなく、まさに器用貧乏なのだが、それでもいろんなこと対し、器用に立ちまわれた。
それは今でも続いていて、逆に中途半端でよくないことも多いのだが、幼い頃は、優位に思えた部分は多かった。
それで調子に乗ってということが多々あったのだが、そんなときに母が僕に言ったのが「祇園精舎の鐘の声」からはじまる平家物語の冒頭だった。


叱られているのでもなく、もちろん褒められているというのでない。
淡々と母は、「ひとえにかぜのまえのちりにおなじ」と言い終えると、「えばっているといつか大変なことになる」というようなことを言った。
僕の記憶には、言葉の美しい響きと、すべての意味はつかみとれないものの、なんとなく、かたちあるものはいつか無くなり、この世の中はずっと同じではないという印象が残った。夢や風という言葉のイメージからそう感じたのかもしれない。


子供の頃のこうした記憶は忘れがちだと思いきや、根が深い。
気がつけば、刈っても刈っても芽を出す野の雑草ように、繰り返し現れる。
僕も普段忘れているのだが、今に至るまで何かの拍子も思い起こす。
耳で覚えた言葉だから漢字は浮かんでこず、母の声で「ぎおんしょうじゃのかねのこえ…」と始まる。


意味については、捉え方はいくつもあるだろうが、僕の中では、大きな器のなかですべては明滅しながら、その器がずっと存在していくといえばいいだろうか。
無常で春の夢であっても、風や塵が消えることはない。哀しみもある一方で、すべてのものは不思議と大きな安寧に抱かれてもいる、僕はそう思ってきた。


今回起こった震災。
幸いにして僕が暮らす雫石とその周辺にはほとんど被害らしい被害はなかった。
燃料等の混乱は今も続いているが、それは日本中同じことで、少し不便な思いをする程度だ。


同じ岩手であっても内陸から被災地は遠い。
自分の眼で被害をみたわけではないのでなおさらだ。
そのギャップを埋めようと、この10日間ずっとメディアを通じて、被災地を見続けてきた。
その過程のなかで幾度となく浮かんできたのが、「ぎおんそうじゃのかねのこえ」だった。
もちろん、被災地の人が「おごれるひと」や「たけき者」ということではない。
もし、おごれるひとという意味では、原発由来の電力を享受してきた僕たち全員がそれに当たるだろう。


無常感。「ぎおんそうじゃ」と聞えてきたのは、そこに尽きるだろう。
11日以前の三陸は、まさにうつろな春の夢のようだ。
メディアを通した情報なので、ディティールが見えないゆえ、よけいにそれを強く感じてしまう。


きっと、海の美しさは変わらないだろうし、波が跳ね返す光の眩さも変わらないだろう。
しかし、すべてが存在していないような錯覚すら覚える。


とはいえ、すべてが風の前の塵となっても、風を生み出す力、塵として残る存在は消えたわけではないはずだ。
これまでも海の人は、津波によって、多くのものを失いながらも、新しいものを生み出し続けてきた。
かたちあるものはいつか壊れるが、かたちなきものは壊れない。
人たちの存在とは、きっとそういう壊れないものだ。


数年前、昭和3年とチリ沖の津波を経験した宮古市田老のポートレートを撮らせていただいたことがあったが、氏は、「この土地は、数十年に一度来る津波でまっさらになる。そしてそこからはじまる」という言葉を聞いた。この言葉も地震以来、幾度となく頭に響いた。


今回の被害の大きさを考えると、そう簡単に「はじまり」をはじめることは難しいだろう。
それでも、地震前の日々と同じように海から吹く風を受けながら、唯、この地に再び鐘の音を響かせようとしているに違いない。
そして、海に生きる人の強さ、おおらかさは、必ずや美しい鐘の音を大きく響かせるだろう。


何も見ていない僕がはたして意味のある言葉を連ねられるのだろうかと、ずっと考えてきた。
「頑張って」という安易な言葉をかける余地はどこにもなく、そのような言葉は自分のなかでさえ空虚に響くことがわかっているが、この場では、亡くなられた方のご冥福とお祈りするとともに、平穏な日常が一日でも早く戻ってくることを願うしかない。


僕自身の微力をどのように生かしていくのか、これは自分自身のなかの課題としてずっと考えていきたいと思っている。





ウエブページ:Atsushi Okuyama Web
ブログ:From The Darkroom

冬の子牛

3月 4th, 2011
この春から、岩手県の県北、旧山形村(現在の久慈市)の短角牛を一年間追うことになった。
岩手の風土に育まれてきた在来種である短角牛との付き合いは、かれこれ10年ぐらいにもなるだろうか。
たくさんの素敵な縁に恵まれて、2冊の単行本をはじめ、多くのパンフレットの撮影を担当させてもらった。


僕にとって、短角牛とは単なる家畜ではない。
風土そのものといえばいいだろうか。
重い塩を背に積んで、北上山地の山ひだを縫って旅した遠い記憶。山地に生きる土地の人と生活をともにしてきた温もりにも似た記憶。
放牧地で聞く短角牛の咆哮を聞くたびに、風土の息吹や土地の人々の足音が、肌に迫ってくるような感覚に捕らわれる。


現在は食用牛として飼育されているのだが、生産者の心に占める短角牛の存在の大きさを知るたびに、この牛が単なる家畜としてここに存在していることではないことに気づく。
土地の人にとっての短角牛とは、故郷に等しい存在だと思う。
自分を包むものであり、そして自分が育てるべきふるさと。そんな存在だ。


短角牛にカメラに向けるたび、根無し草の僕は、自分にも同じものがあるだろうかと自問する。
生まれ故郷は、今の僕には距離も存在も遠く、両親という存在は大きいけれど、「ふるさと」とはちょっと違うような気がする。
おそらく、今の僕は、そしてこれからの僕も、風土を抱く者ではないのだろう。
だからこそ、こうして風土に尽きせぬ興味を抱くのかもしれないけれど。


短角牛を取り巻く土地の暮らしはこれまでもたくさん見させてもらい、シャッターを押してきた。
それでも今年新たに撮影に入ることなったのは写真撮影ももちろんだが、記録映像の撮影も依頼されたからだ。
映像については分野外ではあるが、これまで短角牛を見てきた経験から、なんとか撮るべき映像のイメージをつかめるのではないかと引き受けさせてもらった。
また、映像として短角牛を見つめることで、これから撮っていくべき写真にも新しい風を吹かせられるのではないかと思ったからだ。


そして、先日、冬の短角牛を撮るため、旧山形村に向かった。
短角牛は夏山冬里という飼育方法で飼われてきた。言葉通り、夏は山に放ち、雪に包まれる冬は、里の牛舎に戻すというものだ。
繁殖は放牧地に種牛も放つ「まき牛」と呼ばれるスタイルで、つまりは自然繁殖である。
ほとんどの牛は、放牧後の数ヶ月で妊娠するため、出産は厳寒期の2月、3月に集中する。
運がよければ出産シーンを撮れるのではないかと車を走らせた。


結果を先に言うと、今回はニアミスに終わった。
牛舎についたときには、出産直後で、濡れて光る子牛が藁の上に横たわっていた。

しかし、生まれたばかりの子牛が持つリアリティーは、言葉に表現できない大きさだった。
小さな体から湯気を立ち上らせ、大きな瞳をくりくりと動かし、始めたばかりの肺呼吸にもかかわらず、小さな弱々しい鳴き声をあげるその姿は、むきだしの生命そのものだった。
僕は、思わずその場の空気を胸にいっぱい吸い込んだ。
子供の頃からずっといろんな動物を飼ってきたが、動物の赤ちゃんの匂いはいつも特別だ。
匂いに温度があり、湿度があり、手ざわりがある。
懐かしく、強くて、切なくて、どうしようもなく胸がいっぱいになる匂い。
そして、日々の暮らしのなかで一番忘れやすい匂いでもある。


やがて子牛は立ち上がり、母牛の鼻先へ向かって歩き始めた。
母牛は歩み寄った我が子に向かって、大きな鼻から、たっぷりの真っ白い息吹をかけてやった。


この子牛はどこへ歩んでいくのだろうか。
もし、雄牛であれば、30ヶ月後には屠られる。雌牛であれば、繁殖牛としての日々を歩む可能性もなるが、もちろん食用という道もある。
ここに疑問を挟み、立ち止まってしまうのは幼稚な者の思考だろうか。
僕たちは常に他の命を自らに取り込むことで生きながらえている。ここに異論を挟む余地はないし、何を言ったところで、生命の定めは、いつの時代であっても変わらない。
でも、青臭くても、改めて、この一点を見つめることで、僕たちの日々を問いなおすことができるような気がする。
生まれたばかりの動物たちの匂いと等しく、きっと、もっとも忘れがちな部分がそこにあると思う。


この冬、生まればかりは牛舎の中で母牛とともに春を待ち、五月中旬、北上高地の頂きに拓かれた放牧地に放たれる。


また、来週、新たに生まれくる短角牛に出会うため、北上高地に出かけるつもりだ。



ウエブページ:Atsushi Okuyama Web
ブログ:From The Darkroom