2月, 2011 Archives

土地を食べる

2月 24th, 2011
岩手に暮らし、写真を撮る仕事をしていると、農林水産業にかかわることは少なくない。
僕のできることとはいえば、少しでも良い写真を撮るしかないわけだけだが、地場の産業のPRや情報発信に少しでも役立てることができればと、一生懸命努めさせてもらっている。
精一杯、撮影をする理由はもちろん、僕にとってそれが仕事であるからだ。

しかし、好きだからという理由も負けないぐらい大きい。

岩手のことが好きになって移住し、今年で丸々12年がたった。気がつけば、人生で二番目に長く住む土地となった。
愛着が深まる一方で、さらにこの土地の深層を見てみたいという思いは日増しに強くなっている。
また、この土地でずっと生きていくためにはどうすればいいのかということもずっと考え続けている。
暮らしの糧を得るスキルという話だけではない。この土地で生きるという思いは、僕にとって、土地の純度がずっと高く保たれていくことと同義だ。
岩手が東京になる理由はまったくないし、平泉が京都になる理由もない。
この土地はこの土地であり続けることが今の僕にとって、とても重要だ。

話は少し横にそれてしまったが、だからこそ、地場の産業にかかわる仕事は大切だと思っている。
岩手は言うまでもなく、農業や漁業が産業の大きな部分を占める。
これらの産業が元気であってこそ、この土地に人が住めるのだと思う。

この根本的な部分を揺るがしかねないのが今話題となっているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)ということになるのだろうが、僕にはこれについて詳しく語る知恵もなければ、
何か答えめいたものも持ち合わせていない。
ただ、日本という国のいろんな場所に人が住み、暮らしも土地も健全であり続けるには、農業や漁業は欠くことができないものだと思う。

岩手に暮らし、様々なジャンルの知人ができた。
とくに雫石という土地柄、農業関係の人も多い。
種を撒く現場、育てる現場、収穫する現場。実際にそれをみることで僕のなかでは、食べ物という価値感も変わった。
食べ物は常に美味しくあってほしいけれど、遠く地球の裏側から最高に美味しいものをわざわざ取り寄せる気持ちなどわいてこない。
自分の好きな人が一生懸命作った食べ物がまずいわけはないし、その人の顔を思い浮かべて食べるということは、「味」とは比べることができない喜びが占める。
美味しさとは、作ったその人を思い起こす大切なときだと思っている。

僕がいつも口にする米は、雫石の藤原和也さんが育てたものだ。
玄米で食べているが、食べるたびに和也さんのユーモア精神を思い浮かべる。美味しくて、そして、おかしい。
先日、そんな和也さんから「去年の米さ、ぺこっとあまったんだよね。ぜーんぶ、ウチで食おうかと思ったんだけど、ちょっとさあ、食いきれないから安く売ろうと思うんだ。どうもね、いつも作り過ぎるんだよなあ」という連絡をもらった。
いわゆる古米となるが低温貯蔵で品質管理も万全という米だが、びっくりするほどの低価格となっている。
HPでも購入可能です。もし、よろしければぜひお試しください。
米の一粒一粒に、和也さんの飾りっけのない素朴で温かでそれでいてユーモアあふれる人柄が詰まっていると思います。

「若藤農産の訳あり米」は コチラ

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雪原の足跡

2月 4th, 2011
朝、犬と一緒に雪原に散歩に出かける。
雪景色を見るなかでとても楽しみにしているものがある。
雪原に残された足跡だ。


最近はウサギの足跡が多い。
昨日の夕方まではまっさらだった雪原が、朝になるといくつものウサギたちの足跡が記されている。

足跡の主は勝手気ままのようでいて、よく観察してみるとそうでないことに気づく。
2頭(ウサギだから1羽、2羽と数えるほうが正しいのだろうか)で追いかけあったり、あるいは立ち止まってじっとしたり、はたまた、キツネか何かの天敵に追われているのだろうか。驚くほどの跳躍を見せ付けて駆けていく足跡もある。


そんな足跡の様子を見ていると、おのずと雪夜を跳ねるウサギたちを想像してしまう。

それはどこまでも幻想的な風景だ。
雪が大地を覆う今の時期、夜は暗くならない。白夜ということではないのだが、雪が昼間の光を溜め込んでいるとでも表現すればいいだろうか。
ぼんやりと雪原が静かな光を放ち続けるようにも見える。
そして、空。暗くなるはずの空が雪明りを受けて深い蒼のまま、空の高みへ向けて厚みを増していく。

ぼんやりと光る雪原と蒼い空。淡い色彩に彩られた風景のなかを白いウサギたちが、さくりさくりと雪に足跡を記すのだ。
想像は進む。もしかしたら、ウサギたちが夜、雪原を歩く目的というのは、雪原に美しい足跡を残すためではなかろうか。
真っ白でビロードのような滑らかな毛並みを誇るウサギたちは、キャンバスに筆を走らせていく絵描きのように、雪原に足跡を記すため、長い冬の夜を駆けていくのだ。

生命とはなんて不思議なものだろう。
これほどの寒さのなか、しっかりと燃え続け、雪原にその痕跡を残すほどの存在感を保ち続ける。

頭ではわかっているはずだけど、命の尊さというのはどこかであいまいだ。
正直、一人の人間の命が地球より重いといわれても、そうあるべきだ、そうありたい、でも現実は残念ながらそのようにはできていないし、それが良くも悪くも生命の在りようだと思う。
個ではなく、やはり全体から成るというの生命体というものの原則だろう。
しかし、こうしてウサギの足跡を眺め、その生命の存在感を感じると、ひとつの生命の重さ、あるいは、存在の大きさを思い知る。
それは、言い換えれば、今、ここで確かに生命が呼吸し、躍動していたという実感だ。

大気も凍る雪の夜。ウサギたちは燃える生命を携え、蒼い空、雪の海を泳ぐように遠いどこかへと進んでいく。
それを眺める僕もまた確かに生きている。
そこには疑うべきものは何もない。

岩手に暮らしていることで得る豊かさはこういうことにあるような気がしている。

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