8月, 2010 Archives

遠い旅

8月 26th, 2010

8月は、遠いところへと向かう旅をしていた。
遠いといっても距離のことではない。遠い向こう側を考える旅といったらいいだろうか。

旅は、8月の初旬、金木で行われた川倉地蔵尊の例大祭からはじまった。
津軽は地蔵信仰の色が強い。衆生をあまねく救う地蔵ではあるが、この地では、もっと近しい存在だ。いつも隣近所の笑顔を絶やさない坊やと呼べばいいだろうか。いつもそばにいて優しく笑っていて、それでいて、慈悲に満ちている、そんな存在だ。

津軽では子供が逝くと昇華された魂は微笑む地蔵に宿る。
一年に一度、地蔵の姿をした我が子に会いに行く。そんな人たちが川倉地蔵尊の例大祭に集う。

我が子が逝って、まだ日が浅い人もいるのだろうが、地蔵に会いに来た人のほとんどは、遠い昔に逝った子供たちに会いに来ていた。
寂しさや哀しさは地蔵を前にするときっと蘇ることだろう。それでも、移ろう日々は、感情を遠い高みに揚げていくのだろうか。
どこか晴れ晴れとしながら、そして少しの懐かしさを浮かべながら、手を合わせていた。
人の記憶はいつか薄れていく。その過程で、人は何を得るのだろうか。

地蔵尊の祭りを見以来、僕はしばらく、凛として青い川の底にいるような気分だった。
川底では、光はゆらめいて、とどまるものは何もなく、すべてが静かに移ろいゆく。

そんな思いのまま、津軽大間越のお盆で行われる獅子の供養舞、山形鮭川の庭月観音の灯篭流し、そして地元雫石での舟っこ流しと、現世を生きる人とあの世の静かな交感を訪ねた。

今年の夏は暑い暑いと誰もが言い、僕も暑さには少し嫌気がさしたが、日差しが強ければ強いほど、しばしの間、こちら側にやってきた魂を探す人の姿に静けさを感じた。

今の僕はあの世の存在について、躊躇している。
それを信じている人の姿は美しいと思うし、それがあることで人の心に安らぎが生まれることは素晴らしいことだと思っている。
それでも、本当に信じているのかと言われると答える言葉はない。

ただ理解していることは、近しい人が逝ったとき、もう会うことが叶わなくなったとき、どのような人も生まれる寂しさの深さだ。
そしてその寂しさを知る人の心の深さだ。
寂しさを知る人の眼差しはどこまでも優しい。そして温かい。

僕が好きな言葉で、「There is a dream dreaming us.」というものがある。
これはアフリカのドゴン族の神話の一説で、彼らにとっての「世界」の在りようだという。
自らを含むすべては夢のまた夢。夢が夢を見ているというパラドクスと刹那の感覚に満ちた言葉であるが、世界とは確かにそのようなものだと思う。

確かに産んだはずの我が子がふいにいなくなり、産んだ、育てたという感覚だけは日々の濃淡のなかで消えることはない。
そんなこともすべては夢。そもそも自らさえも夢なのだと、神話は言う。
それでも、消えそうな記憶を大切にするのが人だし、それでも忘れていくのも人なのだろうと思う。

まだ、川の底にいるような感覚が続いている。夜になって空を見上げると、川面を光を灯した無数の灯篭が音もなく流れている。




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祭りの未来

8月 10th, 2010

前々回、梅雨明けについて書いたが、その後、しばらく雨が続いて、ここ1週間ぐらい前からは、岩手にも夏らしい夏がやってきた。

「空全体に沸き立つように」とまではいかないけれど、午後になり、入道雲が空の高みへともりもりと膨らんでいく様子は、思わず足を止めてずっと眺めていたくなるほどに不思議な魅力に満ちている。
入道雲が伸びていく空の、無限に等しいほどの高さ。刻々と変わりゆく落日の光。自然の理によって作り出される情景は、感覚の奥深い部分を揺るがすようだ。


揺るがすということでは、僕にとって土地にカメラを向ける行為もその通りだ。
1998年に岩手に移住してきて以来、ずっと、土地にこだわって写真を撮ってきたが、この東北という土地への興味は尽きることがない。単なる思い付きで、その世界を撮ってみると、思わぬ発見や出会いが浮上してくる。僕にとって、この土地とは、妖しいほどの光を秘めた原石が無数に眠る鉱脈なのだ。

たとえば、ここ数年、断続的に撮り続けている祭りなどは、いつかは撮ってみたいものとして頭にあって、数年前にようやく撮り始めたテーマだった。
最初は、単純に面白そうな祭りを訪ねることから始めた。祭り特有の空気自体は、当然予想できるもので、それをどう撮ろうかなどと気軽に考えていた。
しかし、実際にいくつかの祭りや伝統行事に足を運んでみると、その奥行き、世界観の大きさ、そして現在性に圧倒された。

とくに、「現在性」あるいは「同時代性」については、この土地の今を記録したいと考えている僕には、鉱脈を掘り当てたという実感だった。
今の時代、誰のために何のために祭りを行うか? 昔のように祈ることしかできない暮らしではないし、過疎化、高齢化、農業の衰退など、祭りを執り仕切る村落の共同体自体そのものが過去にはない問題を孕んでいる。
つまり、連綿と続いてきた価値観を受け継ぐ母体が揺らいでいるところに、祭りに何を求め、祭りから何を得られるのか。

そこに確固たるものが見いだせなくなったというのが、祭りが衰退していくひとつの理由だろう。挽回策としては、観光イベント化に特化する方向もあるだろうし、また、たとえばユネスコのような権威から認められることで、祭りに新たな価値を見出すということも考えられるだろう。どちらの策も上手くいけば、祭りは再生し、盛り上がりが期待できるかもしれない。
ただ、イベントとして成立できる祭りは幸運であって、実は、世にある祭りのほとんどがエンターテイメント性を求める世界とは違った文脈を持つ。もちろん、世界の権威から認められることも容易なことではない。

たとえば、岩手でいうと早池峰神楽が昔から有名で、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。しかし、だからといって、岩手に伝承されるほかの神楽が早池峰神楽に劣るかと言えば、僕はそうは思わない。

伝統を伝承するということは時代性や地域性の作用が大きく働くことであって、伝承がスムーズに行われていないことは当事者だけの問題ではない。
ましてや、土地の伝統とは、土地のために生まれ、土地の人のために存在してきたものだ。もし、伝統の火が消えつつあるのでれば、それはもう土地とそこに暮らす人が、その火を必要としなくなったということだ。
そうした現実があって、かろうじて伝えられる無名に近い神楽と、早池峰神楽の素晴らしさを比べることはナンセンスだ。
早池峰では、神楽がずっと必要とされてきたという歴史と、それを伝承する人が存在し、苦労して伝承を続けているという現実が、早池峰神楽ならではの素晴らしさを生み出しているのだ。

僕が昨年からずっと撮り続けている滝沢の篠木神楽は、戦後に伝承する者がいなくなり、一度は存続が危ぶまれた神楽だ。そんな理由から何とか復活し、伝承を続ける今、篠木神楽の演目のすべてを踊ることはできない。しかし、彼らが自分たちのため、自分たちの土地のため、舞いを続けようと神楽殿の隣の小屋で練習を続ける姿は、胸に迫るものがある。新しい時代を生きるために生まれ変わった神楽だと、僕には見える。




そうはいっても、これから先の将来、土地のための祭りや伝統行事は、少しずつ消えていくのだろうか。たとえば神楽のように神と人間の物語を舞で表現するその世界観を、現代を生きる僕たちや、この先の人たちが必要とするのだろうか。

ただし、こうした問題は祭りに限ったことではないだろう。
ほんの少し前、30年もさかのぼれば、岩手の山間部の暮らしは、古から連綿と続く世界の延長だったはずだ。それが戦後の急激な変化によって、生活そのものが激変した。
しかし、住んでいる場所は、岩手であって、当たり前だけどそこが東京のような大都市になったわけではない。便利な生活用具など、受け入れることができる変化がある一方、たとえば、山に抱かれた地形や深い雪など、変化そのものを拒む環境や生活も存在することだろう。
おそらく変化できるものと変化できないものの緊張が、土地を揺らぎやひずみを生む理由のひとつといえるだろう。結局、祭りの問題とは、東北、そして岩手が抱く揺らぎそのものなのかもしれない。
だからといって、何か道標や羅針盤のようなものを未来に対してもっているかと言われれば、そんなわかりやすいものは僕の目では見つけることはできない。

僕たち自身が、この岩手でどのように今を生き、どのような未来を迎えたいか。
誰のため、何のため、という理由から生まれる祭りの揺らぎとは、きっと僕たち自身そのものなのだ。

新しい世界を得るためには何かを捨てる必要があると誰かが言う。
未来への羅針盤を持たない僕たちとは、その過程で揺れ続ける存在なのだろうか。

ここまで書いて、前回の山仕事と同じような結末となってしまったことに気がついた。
岩手の風土を歩んできたすべてのものに、同じ「今」が流れているからなのだろうか。

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山の仕事

8月 1st, 2010

数日前、炭焼き職人の大宮才吉さんと山に木を伐りに行った。
過去も何度か、才吉さんが炭の原料となる木を伐り出すシーンを見せてもらったことがあるが、今回は、僕自身もチェーンソーを持って一緒に山に行った。
向かった先は、雫石盆地の西にある山の連なりで、土地の人が「高倉」と呼んでいる場所だ。

ローダーと呼ばれる重機、ユニック車、チェーンソーというのが才吉さんの山仕事の三種の神器で、それらを駆使して山から木を伐り出した。
才吉さんの仕事ぶりを見て、まず驚いたのは木の倒し方だった。
狙いをつけた木の根元の周辺の邪魔になるような枝をさっと伐り払うと、幹の上部を一瞬眺める。そこで、木を倒すべき方向を見極めると、“受け口”と呼ぶ最初の伐り目を幹に入れ、次に根元からずばっと水平にチェーンソーを刺し入れる。すると、木はメキメキ、バリバリと轟音を立てて、倒れていく。
この一連の動きにまったくの無駄はなく、「赤子の手をひねるよう」とはまさにこういうことなのだと感心させられる。

これまで何十年かけて育ってきた木が一瞬にして倒れてしまうことは可哀想に思えるが、その技の見事さから哀感は湧いてこない。倒すというよりも木を寝かしつけると表現した方が言い当てているような気がする。それほど、あっという間に木が横になる。

学生時代、バックパックを背負って訪ねたモンゴルで、ナイフ一本で、一滴の血を流すこともなく一瞬のうちに羊をほふる様子を見たが、あのときと同じだと思った。あのときも技の見事さから可哀想という気持ちはあまり湧いてこなかった。

当然のことであるが、生きとし生ける者は、他の生命によって支えられている。
人に食べられる羊はまさにそうだが、森に立つ一本の木もまた、人間の営みに必要とされ、数十年間蓄えてきた時を人間に差し出す。
羊をほふるときも、木を伐るときも、人間にとってできることは、できるだけ痛みが少なくあちら側へと送ってやり、少しも無駄にすることなく利用すること。もし、人間のために落とす命に供養ができるとしたら、それぐらいのことだろう。
そして、痛みなく彼岸へと送ってやるための道具とは、長い時間をかけて培った技術なのだ。

仕事の途中、途中で才吉さんから、昔の炭焼きについて、いろいろと話を聞いた。
戦前から戦後にかけて、雫石は炭焼き大国岩手県のなかでも炭の産地として名を馳せた。
とくに県内のほとんどが黒炭を焼いていたのに対し、雫石は、石窯で一気に焼き上げる白炭の産地として特別な存在だった。

才吉さんは、こうした雫石の炭焼きの全盛期を生きてきた人で、まさに雫石の炭焼きの歴史の生き字引というべき存在である。
そんな才吉さんの昔話は、現代しか知らない僕にとっては、まるで遠い国の物語のようだ。

夜が明ける前から、炭焼きに従事する者で何十人も連なって、何時間も雪を踏みしめながら山に向かい、手鋸で大木を伐って炭窯に入れる。
炭窯から立ち上る煙で、山並み全体が、淡い紫色に染まり、暗くなる頃、合計50kg近くにもなる炭俵を背負って里に帰ってくる。
夜遅くなると、キツネ火が出て、化かされるから皆、急ぎ足だった。それでも化かされるから山の不思議なこと。
足にはツマゴと呼ばれる藁靴を履いているが、すぐに痛むため、夜はツマゴ作り。ばあさまも手伝ってくれるが、それでも一冬で30足も作るのは大変だった。

こんな話をして、才吉さんは、「今からじゃ、信じられない暮らしだった。おらも今じゃ、一日かけて木を数本、手鋸で伐っていたなんて信じられねえ」と笑うのである。

こういう話を聞くといつも感じるのは、時代が移り変わっていくそのスピードだ。
人間というものは、適応能力が優れているから、変化に速やかに順応していく。才吉さんも今ではチェーンソーなしでは、山仕事など考えられない。
しかし、改めて不思議というか、気にかかるのは、大きな変化がたった一世代の間で進んだということだ。才吉さん以前の炭焼きとは、おそらく鉄の道具が自由に扱えるようになって以来、長きに渡って同じような内容だっただろう。
それが、たった一世代の間で、仕事そのものの内容が全く変わるほど変化してしまった。

変化とは抗えないものだし、良きものをもたらす大きな力になるだろう。
ただ、その変化のスピードについていけなくなったとき、人はどうするのだろうか?
変化を受容できなかった人は、時代の忘れものとなってしまうのだろうか?
もしそうだとしても、だからといって、スピードについていけるだけの走力を磨くということでもないような気がする。
優れたアスリートであっても、いつかは老い、そのスピードを失うのだから。

岩手はかつて、「日本のチベット」と呼ばれていた。日本の中でも特別開発が遅れているという意味なのだろう。
その表現の良し悪しは別として、本家のチベットも、僕がかつて旅したモンゴルも、現在、激変するライフスタイルに大きく揺れ動いていると聞く。
岩手には、まだまだ古い世界を伝えるものが多く残っている。
変わりゆく時代のなかで、それらの多くが姿を消すだろう。きっとそれは憂いても仕方のないことだ。その代わりとして、僕たちは、もっと便利なもの、もっと良いと思えるものを手に入れるに違いない。
ただ、一枚ぐらいは写真を撮っておき、失ったものが何であったのかは理解しておきたいたいと思う。
これまで歩んできた足跡は、さらに先へと続く道を見失わないために必要なものだと信じているからだ。


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