5月, 2010 Archives

青き夕暮れ

5月 28th, 2010

今週の岩手は雨続きだ。
おかげでいくつかの撮影が延期になってしまった。
しかし、この雨で緑は瑞々しさを得て、勢いよく枝葉を伸ばしている。この時期の山などを見ると、木々の一本一本が盛りあがっているのがよくわかる。

雨模様になって、風景のなかから姿を消すのは岩手山だ。県北や県南で暮らす方にはそれほど近しい存在ではないかもしれないが、盛岡をはじめ、岩手山のある風景で生活している者にとってはとても大きな存在だ。
僕が暮らす雫石は、岩手山の南麓に広がる盆地で、岩手山のない風景は考えられないほど、その存在は大きい。

岩手山の標高は2000mと少し。それほど高い山ではないが、その堂々たる山容は見ていて清々しい。
富士山にも似たシルエットを持つことから南部片富士とも呼ばれることもあるが、僕は岩手山は岩手山でいいと思う。

実に大きな山だが、天気が崩れると、簡単に姿を消す。裾野からすっぽりと雲に覆われてしまうのだ。
しかし、ふとしたときに雲の割れ目から顔を見せる。僕はその瞬間がとても好きだ。
大きな存在がぬっと顔を出したようで思わずハッとする。初めて見たかのような印象と言えばいいだろうか。


風旅


岩手に暮らす前だから12年ぐらい前になるかもしれない。岩手山の山頂を目指したことがあった。目的は、山頂付近のハイマツ帯に暮らしているというホシガラスの撮影をすることだった。
超望遠レンズと大型三脚に四苦八苦しながら、なぜ、ホシガラスを求めたのか、今でははっきりしない。
しかし、身体に星のような白い斑点を持ち、高地だけで暮らすカラスというものに会ってみたいと思ったのだ。

その日、下界は晴れていたが、登るにつれてガスが濃くなっていった。このままでは撮影も上手くいかないだろう、というところまでガスが濃くなったとき、目的のハイマツ帯に出た。
おそらく8合目付近のことだ。そこで僕は、途中で投げ出そうとまで思った三脚を開き、レンズとカメラを据え付けた。
ガスは濃かったが風に流され、ときどき薄くなった。どのくらいたっただろうか。薄くなったガスの中から鳥影が見えた。ハイマツの実を運ぶホシガラスだった。
思い描いた通り、ホシガラスは、黒い羽毛に覆われている身体に白い星をいくつもちりばめていた。
写真は感度が少し足りず、動くホシガラスを上手に捉えることができなかった。
しかし、限られた植物しか育つことができない高地で、ハイマツの実を食べながら暮らしているホシガラスが存在するということを感じただけで十分だった。

これは僕の性分ではあるが、いつも違う世界があると思って生きてきた。
小学校に通う毎日、クラブ活動をする毎日、会社に通う毎日、カメラマンとしての毎日、日本で暮らすという毎日。自分は今、そういう世界にいるが、きっとまったく違う世界があって、そこでもそこの毎日がある。
なぜ、このように思うようになったのかを書くと長くなってしまうので割愛するが、ここではないどこかに違う日々があり、自分はそこでも生きている、という感覚は、いつも感じてきたことだった。
いい年になって夢見がちな性格を吐露しているようでもあるが、一方で、今の世界に絶対に溶け込まなくてならないという強迫観念を持たずに済んだのではと考えている。

突き詰めてみると、岩手に移住したことも、東京で暮らす毎日とは別な世界に身を置いてみようかと、幼い頃からの感覚を実践したに過ぎないような気がする。
そして、写真も、自分とは異なる世界に暮らす人、異なる世界に価値観へと自然向かっている。何も遠い異国を目指すのではない。日常のわずかな裂け目や歴史、心のなかなど、異なる世界はいくらでもある。そういうものを撮って、それが何になるかわからないけれど、違う世界があるということで僕のバランスは保たれる。

その後、フィルムを数本ほどホシガラスに使い、僕は岩手山を降りた。
山が雪に閉ざされるとホシガラスは少し低地に降りると聞くが、高地以外で見たことはない。
ホシガラスもまた、どこか別の世界に行くのだろうか。

●ご案内
集英社文芸サイト「RENZABURO」にて、フォトストーリー『小さな伝記』シリーズの連載を開始しました。
北国の風土から拾ってきた小さな物語たちです。お時間があるときにでもご覧いただければ幸いです。
TOPページ=http://renzaburo.jp/
作品ページ=http://renzaburo.jp/contents/047-okuyama/047_hyoshi_001.html

新しい季節

5月 22nd, 2010

今日、三陸の普代村に行った。目的は、一年に一度、旧暦の4月8日に行われる鵜鳥神社の例大祭の撮影をするためだった。

祭りのはじまりは早朝5時。宮司様と氏子の背中を追って、卯子酉山の山頂にある奥宮に向かった。

鵜鳥神社の遥拝殿は、車でのアクセスが可能だが、山頂にある奥宮へは参道を徒歩で行くしかない。山道を登ること約20分。楢や赤松の林に囲まれた奥宮は、朝の木漏れ日を浴びて、清々しい気配に包まれていた。

普段であれば、参詣者は遥拝殿でお祈りを済ませるのだが、例大祭当日だけは、息を切らして奥宮を目指し、御祈祷を受けることがこの土地の伝統なのだという。
海の町だけあって、祈祷の内容は海上安全が多い。普段は海原を舞台とする漁師も、この日ばかりは、山に登るのである。

祝詞が流れる奥宮での静かな時間、激しく美しく、そしてユーモアをはらんだ神楽の舞…。参詣者の祈りに包まれた例大祭の時間は静かに過ぎて行った。

ここ数年、祭りを継続的に撮影しているが、そのたびに人の祈りとは、土地とは、今という時代とは?など、とりとめのない問いが頭をめぐる。
それはいいかえれば、「神秘」や「不可思議さ」、「不条理」、「存在の不確かさ」などを考える機会でもある。あるいは、この土地と、ここに暮らす僕たちの光や影を身近に感じる瞬間と言えばよいだろうか。

撮影が終了し、機材を積んで車に乗った。普代から自宅のある雫石までは軽く100kmを超える。北上高地を横断し、西へ、西へと向かう道のりだ。午前中であれば、昇る太陽に向かって進み、午後であれば、沈んでいく太陽を追いかける旅路だ。

この道は、藩制時代、「小本街道」と呼ばれた海と内陸を結ぶ重要な道筋だったことでも知られる。岩手の海と内陸を結ぶ道は、ほかにも宮古街道、野田街道などいくつか存在するが、山懐を縫って走る小本街道が、北上高地のダイナミックな地形を一番強く感じられる道筋だと思う。

街道沿いはちょうどやまなしの花が咲く季節。柔らかな5月の日差しを浴び、無数の白い花をつけたやまなしの木が点在する山里の風景は、桜よりももっと強く、この土地の春の到来を感じさせていた。

夕暮れの光を追って追って街道を進み、ようやく盛岡の手前にある岩洞湖にたどりついた。
光をためた湖面は、それ自体がまるで光のようで、直視できないほどのまぶしさだった。
明滅を繰り返し、留まることなく揺れ動く光の粒は、まるで水面で呼吸する名もなき小さな生命のようにも思えた。



水際には、新緑をまとった木々が勢いよく立ち並んでいる。
新しい季節がもうそこまでやって来ている。

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菜の花

5月 17th, 2010


 雫石ではようやく桜の時期が終わりつつある。結局、例年より1週間ほど遅い春となった。
 桜から新緑へ。この時期の緑の勢いは鮮烈だ。夜が明けると全く異なる世界に見えるほど、緑が風景を占める。

 新緑まぶしい雫石で、今一番見ごろなのが、菜の花である。雫石では、減反地活用として菜の花栽培に力を入れている。菜の花は、菜種として収穫し、食用油をつくっている。環境型農業の取り組みの一環というわけだ。

 菜の花畑は町内各地に点在し、その鮮やかな黄色を披露している。黄色い花はタンポポでもそうだけれど、青い空がとにかくよく似あう。菜の花の黄色いじゅうたんは、青い空を支えているようにもみえる。

 今日は、撮影をかねて、雫石の菜の花畑をざっとひとめぐりした。天気も良く、まさに大満開といったところだろうか。陽光を浴びる菜の花は眩しいほどの鮮やかさだった。



 あまりの気持ちよさから、広々と伸びる菜の花畑を前に座ってみた。すると、蜜を運ぶ蜂たちの姿が目に入った。たくさんの蜂たちが、順番に花を訪ね歩きながら、せわしなく蜜を集めていた。
 新しい季節は、当たり前のようにやってくるが、そのたびに僕たちはなぜ、飽きもせず喜びを感じるのだろう。
 蜜を集める蜂に自分たちの姿を重ねてみる。人も虫も何も変わらない。春の陽光を浴びる心地よさ。軽やかな羽音を響かせる蜂たちもきっと同じ思いなのだろう。

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雫石町との共同作業で、「しずくいしの小さな伝記」という写文集を制作した。
これは数年前より、僕がプライベートで制作している「小さな伝記」シリーズの「しずくいし版」という内容だ。



写真と短い言葉でつづる「小さな伝記」シリーズというのは、フィクションとノンフィクションの狭間を行ったり来たりする作品だと思っている。

僕の仕事は写真を撮ることだけど、取材対象者からの言葉を聞くことでもある。とくに、最近はドキュメンタリーものを仕事の中心としているだけあって、余計に対象者の言葉は重要だ。もしかするとカメラを持っている時間よりも話を聞いている時間の方が長いかもしれない。でも、だからといって、そこで得た言葉をそのまま伝えようとは思っていない。



ちょっと誤解を生むかもしれないけれど、言葉は深い海の表面を漂うものでしかなく、その下には膨大なメッセージがあると思っている。写真も同じ、写真の向こうにはまだ見ぬ膨大な光景がある。だから、常に言葉の向こう、写真の向こうを見たいし、それを感じられるものを作りたいと思う。



つまり、写真も言葉も基本的には変わらない。
取材者が取材対象者との出会いを通じて、「見て、感じる」。それがインプットとすれば、アウトプットは、取材者のなかで、つかのま漂った言葉なり写真なりが、ある変化を伴って表現された結果である。
だから、「取材」の出来事を、そのまま形にすることは僕はあまり意味がないことだと思っている。
アウトプットは決して取材者の体験を追体験することではなく、取材者のなかで取材で得た言葉や光景のフラグメントがふわふわと漂い、それがあるとき何かの拍子に起きる化学変化の姿だと思うからだ。



これを「事実を捻じ曲げる」ととられると困ってしまうけれど、そもそも、取材中の出来事はすでに起こった事象であって、それを再現することなど、到底無理なのだと思う。変な理屈になってしまうけれど、化学でも、ものづくりでも「再現」ほどやっかいなものはない。そんなことよりも、取材者は、自分の価値観を崩してくれたり、新たな発見を与えてくれるきっかけとなる、この化学変化を、読者なり鑑賞者なりに伝えることに徹した方がいいのではないかと思う。言いかえれば、その「変化」こそが普遍なのだ。

こういう姿勢に対し、取材対象者を素材扱いにして、とお叱りを受けることもあるが、僕は、取材対象者もこの化学変化から何かを発見できることが、取材されることの一番のメリットだと思う。すでにある、頭のなかにある「なぞり」がかたちになったとして、何の刺激があるだろう。発見こそが、生活の喜びなのだと思う。



前置きが長くなったが「小さな伝記」は、僕が出会いを通じて、僕の中で起こった化学変化を言葉と写真で物語のかたちにしたものだ。
物語の素はすべて、僕の目の前で起こった光景、聞こえてきた言葉、皮膚や心の底に伝わってくる見えないものだ。

また、「小さな伝記」を作るにあたり、とりわけ感じていることは、そのタイトルの名の通り、僕たちの人生というのは、どこにでもある「小さな物語」であって、それが何かのきっかけで大きな伝記となることもあるだろうが、基本的には、そのまま何かに残されることは少ない。



でも、実はそんな「小さな物語」こそが僕たちの暮らしの一番大切な部分だと思う。
それは、勝者が語る時代の歴史が敗者のディティールを伝えないという構図にも少し似ているのかもしれないけれど、大きな伝記では語りつくせない物語が、何者でもない僕たちなのだと思う。いずれにせよ、僕たちの暮らしのかけがえのない部分は細部にあるのだと思う。

というふにう、作った思いを書き始めるととりとめがないのだけれど、こうした本を作るきっかけをくれた雫石町役場のF氏と、後を引き継いでくれたT氏にはとても感謝している。
「掃いて捨てるようなPR媒体ではなく、手に残り、何よりも心に残るものを」と企画を進めてくれたF氏の仕事は、観光の本質に向き合ったものだと思う。それは、観光から得るお金は結果にすぎないということを改めて教えてくれるものだった。

F氏やT氏をはじめ、何よりも取材対象者に、この場をお借りして心より感謝いたします。
ありがとうございました。

なお、「しずくいしの小さな伝記」は、雫石町内の店舗を中心に配本されているそうだ。
どこかで機会があれば手にとっていただければ幸いです。

山形村へ

5月 1st, 2010


 昨日、仕事の打ち合わせで岩手の県北、山形村に行った。山形村とは旧名で今は久慈市と合併したことで、「村」の名称はなくなっている。
それでも僕がこの地を「山形村」と呼んでいるのは僕なりの理由がある。
山形村との付き合いが始まったのは、岩手に移住して数年後のことだった。リニューアルする観光パンフの撮影を任され、村に通い始めたのがはじまりだった。
 観光パンフといえども、僕が企画したのは、いわゆる観光施設を伝えるものではなく、村の風土を伝えることだった。北上山地の山襞に沿うようにして人家が点在する山形村の佇まい、炭焼きや短角牛と呼ばれる在来和牛の飼育を中心とした暮らしそのものが、「観るべきもの」だと感じたからだった。
 真黒になって炭焼き小屋で働く人の姿や、春を待つ牛舎のなかで聞いた短角牛たちの吐息にカメラを向ける時間は、今思えば、岩手という土地の風土の本質に触れた最初の瞬間だったように思う。
そして、この体験こそが、この土地の風土にカメラを向けたいと願う気持ちの原点なのだと感じている。
 以来、この山形村にはなぜか縁があって、定期的にカメラを向ける機会をいただいている。今では、地元に雫石とはまた別の意味で、思い入れの一番強い土地でもある。今も僕が「山形村」と呼ぶのはそんな理由からだ。

久しぶりに訪れる春の山形村への一日は、懐かしくもあり、新鮮な思いを抱くひとときでもあった。
まだ雪が解けたばかりで森や放牧地には色はなかったが、木々は力強く大きく張った枝のひとつひとつを空に向けていた。
そして、その木々を望む自らの足元に目をやると、無数のカタクリの花が並び、皆で春の風を受けていた。


カタクリの群落は、山の隅々にまで広がるように咲き誇り、それはもう圧倒的な春だった。
おそらく、これがこの土地の当たり前の春なのだろう。
そして、それはやはりどこまでも美しく、力強いものだった。

「岩手に移住した」と言うと、土地の人からは「こんな場所のどこがいいのか」とよく聞かれる。
「この土地は、足元から本物だから」と、今の僕は答えることができる。

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