4月, 2010 Archives

公開展

4月 30th, 2010


昨日より、先日紹介した「おりつめ木工」で作業場公開展が始まった。
普段は、全国の百貨店やギャラリーでの個展で全国を飛び回っている和山忠吉さんだが、一年に一度、ご自身の工房で展示会を行っている。
作品展示はもちろんだが、製作現場で行うだけあって、木工作品づくりのプロセスを紹介することがテーマとなっている。まさに「作業場公開展」なのである。
この公開展が行われるのも今年で4回目。GW開催が恒例となっており、木工ファンにとっては、和山さんのものづくりを身近で感じられるこれほど良い機会はないと、楽しみにしている展示会でもある。


さっそく、僕もひやかしがてらに遊びに行ってきたが、工房に並ぶ製作過程の木工作品が実に興味深く、引き込まれてしまった。
完成すると隠れてしまう木組みの細部や、ひとつひとつでみると完成品が想像できないパーツなどが並ぶ工房は、まさに和山さんの頭の中を見るよう。近頃、「効率」や「能率」の名の下に「省略」や「短縮」が幅を利かせている世の中であるが、和山さんの膨大な試行錯誤と製作のプロセスは、そういった世の中の風潮を軽くあしらってみせるようで実に小気味よい。



抽象的な言い方になるが、きっと「豊かさ」とは、膨大な時間や一見すると無駄とも思えるプロセスから生まれてくるとは考えられないだろうか。実はプロセスを削れば削るほど、外側は変わらずとも中身が痩せていくというのは、これまで約6,7年かけて何十人もの北東北のものづくりの職人を訪ね歩いた末の僕の勝手な感想ではあるが、まさに和山さんのものづくりの核も「プロセスの豊さ」にあると思う。

といった少々、小難しいことも考えられる展示会ではあるが、それとは別に和山さんならではのユニークな発想を垣間見れるのも、この展示会の特徴だ。


氏の得意とするユーモアで意表を突いた作品が、所狭しと並ぶ工房はまさにアイデアの殿堂。たとえば、犬小屋をつくるにあたり、巨大なサッカーボールを作ってしまったというのだから、なんだかおかしくなってしまう。


ここで、なぜ、犬がサッカーボールに入る必要があるのか、なんて問うのはまさしく無粋なこと。純粋に和山さんの発想を楽しむのが正しい見方なのだ。
公開展は、5月4日まで。今回限りの一点ものの特価商品も数多いのでお見逃しなく。
アクセス等の詳細は、おりつめ木工HPで http://www.chukichi.jp/

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水仙月の四日

4月 23rd, 2010

真黒な空から真っ白な雪が降りてくる


 先週は荒れ模様だった。
 関東では早くも桜の時期が終わり、新緑の季節がやって来ようというのに、岩手では雪が降った。盛岡などの都市部ではちらつく程度だったみたいだが、僕が暮らす雫石では、本格的な吹雪模様となり、うっすらではあるが、田畑や森は再び雪をまとった。
 本格的な春を迎えるこの時期の雪は珍しいことではない、というのが、岩手暮らしを11年経験しての感覚だ。むしろ、この時期の雪は、この時期らしい気候だとも思っている。
 春の到来がいよいよという感じになってくると、どこかそわそわと落ち着かない気分になる。日に日に雪の厚みが薄くなってゆき、露出した道端からは、フキノトウが顔を見せる。
約半年近くの間、雪のなかで暮らしていた者の春への思い。それが一番強くなるのがこの時期だ。寒さに対し身構えていた気持ちがゆるんでいく。
ところが上空に寒気が入ってくると、急に冷たい風が吹きはじめ、もう終わったはずの雪が舞い始める。しかも、はらはらとした遠慮深い感じでもない。強い西風に乗って、ごうごうと降る。
 関西で生まれ育った僕にとって、この光景はある意味、ありえないものだった。「四月も終わろうとする時期に雪が積もるなんて」。移住したての頃は、そう感じた。

 しかし、今は、この時期の雪は何となく楽しみにしている。そう思う理由は、宮沢賢治の『水仙月の四日』がとても好きだからだ。
 賢治童話の代表作と言えるものなので、あらすじ紹介は割愛するが、春の吹雪を引き起こす存在である雪婆んご、雪童子、雪狼たちと、その吹雪によって遭難する子供の一日を描いた物語は、何度読んでも素晴らしい。圧倒的な雪の世界を前に読み手は冬のイーハトーヴに立つことができる。

 今の僕は、この『水仙月の四日』は、決してフィクションではないと思っている。もちろん、雪狼などは存在しない。雪童子、雪婆んごもしかりだ。
 しかし、春の吹雪の荒れ狂った感じ、たとえば、雪が巨大な拳状というか、数メートルほどの丸い塊になって、あっちからもこっちからも吹きつける様子や、巨木がギリギリと音を立て、ばさばさと揺れる現実の春の吹雪は、『水仙月の四日』そのものである。
 賢治がこの物語を書くにあたり、それほどの想像力を必要としなかったと言えば、言いすぎかもしれない。けれど、僕には『水仙月の四日』は、賢治がその美しい言語感覚で、春の吹雪をドキュメントしたとしか思えない。
 逆を言えば、賢治は、世界中のどこを探しても見つけることができないほど美しく、リアリティーを持った言葉で春の吹雪を描ききったのだと思う。

 春の吹雪を何度も経験すると、真冬の雪とはまったく異なるものだということを知る。
 とにかく融けるのが早いのだ。手のひらに積もる雪も、地面に積もる雪も、屋根に積もる雪も、本当にあっという間に融けてしまう。
 それを見るたび、春の雪はそれ自体が暖かいのだと、どこか不思議な感覚のまま、確信したりする。
 そういえば、『水仙月の四日』で、遭難した子供は赤い毛布にくるまったまま夜を越すが、朝になると「子どもはちらっとうごいたようでした」と賢治は綴る。
「春の雪は暖かい。一晩中、雪の中で眠っても、朝を迎えることができるだろう」。春の吹雪に見舞われるたび、賢治はそう感じていたのかもしれない。


雪の日のさくら (さくらは奥山氏の愛犬だろうか、黒い毛並みの凛とした犬の横顔が雪の穴から何かに見入っている。もしかすると、雪狼なのかもしれない・・・)


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わかふじ農産

4月 13th, 2010


 前回話題にしたヤギの飼い主である藤原和也さんは、雫石でわかふじ農産という会社を経営している。社名から連想できるように、農業が仕事だ。
 米を中心に作付けし、今、雫石で話題急上昇中の大豆の在来種「雫石黒千石」も栽培している。これらの農産物を使った味噌や醤油などの加工品も多く手がけ、その活動の勢いは、雫石のなかでは目を見張るものがある。
 和也さんの作る米をはじめ、加工品は僕も日々の生活で愛食している。グルメとはほど遠い僕が「美味しい」と言っても、あまり効果はないと思うが、間違いなく美味しいと思う。とくに僕は玄米が好きなので、和也さんには精米する前の米を届けてもらっている。カメラマンという職業は不規則な生活を強いられることも少なくないが、こうして元気でいられるのは和也さんの玄米を食べているからだと感謝している。

 和也さんが手がける生産物に惚れ込む一方、僕は和也さんそのものにもある意味、惚れ込んでいる。今の時代、農業に苦労がないわけはない。事実、「わかふじ農産」には解決すべき問題が山積みだという。それでもとにかく、和也さんはもうすこぶる明るい。いつもすっとぼけたことばかり言って、ユーモアを絶やすことがない。
 たまにどうすればこれほど能天気(失礼!)な性格になるのかな、なんて思うこともある。しかし、だからこその魅力。そのほがらかさに触れると、元気になる。
 おそらく、この癒しの力は、和也さんによって育てられる農産物にも溶け込んでいることだろう。玄米を食べるたび、和也さんのひょうきんな口ぶりが脳裏に浮かび、思わず楽しくなる。そして、どこかほっとするのだ。
 人は決して単なる味覚だけでものを食べているのではない。その背景にある人も間違いなく味なのだ。僕が食べる米の背景には、ユーモア満点の和也さんがいる。

わかふじ農産の紹介
http://www.iwateyama.net/makers/wakafuji/?osCsid=vq0a5vse44trpmmv8htpdav7f2

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ヤギの仔

4月 5th, 2010

「ついにヤギの赤ん坊が生まれたよ。おかしな顔してるんだよねぇ」と、友人の農家が笑い声で電話をかけてきた。数日前から、「もうすぐ生まれる」と聞いていたこともあって、これは一枚とカメラを持って駆け付けた。
友人から案内されて行ってみると、そこには灰色と白のヤギの仔がまだおぼつかない足取りで立っていた。生まれて間もない小さな命だが、その存在感の大きさは、そこにいた者すべての印象だろう。

僕は小さい頃から動物が好きで、これまでたくさんの生き物を飼ってきた。
とくに小学生時代は、半ば「好き」を超えた感じで生き物狂いだった。心の師匠は当然、ムツゴロウさんである。よって、犬、鳩、ハムスター、インコなど、家にはたくさんの動物がいて、それを世話するので毎日が大忙しだった。
また、これらの動物のおかげで、学校の先生はずいぶん困らせた。「今日、ハムスターの元気がない」といっては、教室のなかで一日中落ち込み、また、飼っている動物が臨終を迎えた日には、先生からの許可を得ることもなしに早退した。
 困り果てた先生はおそらく母親に苦言を呈しただろうが、母から早退などについてとがめられたことは一度もなかった。むしろ、「鳩が元気を無くしているから早く帰っておいで」という人だった。母は、今もそうだが、一般の常識では測れない事柄を大切にする人で、今の僕が写真家などというちょっと変わり種の職業で暮らせているのも、母のそうした感覚が影響しているような気がする。
 そんなわけだから、まだ立ち上がったばかりのヤギの仔は可愛くてしょうがない。
思わず、「欲しいなあ」と口にしたいところではあるが、どうしても留守が多い毎日。
写真を撮るだけでぐっと我慢するほかなかった。

 都会暮らしをやめ、岩手に暮らすようになって、生命との距離が近くなったような気がする。ヤギや牛などの家畜はもちろんのこと、自分を含めた人間、そして野生動物。動物とは少し異なるけれど、樹や草もまた同じ生命だと感じる。 
 日々の暮らしのなかでこうした生き物との触れ合いがごく当たり前のものとして存在する。野生動物など、輝く生命を見ることも多い一方で、肉牛など人間のために消される命にも出会う。また、おじいさん、おばあさんの知り合いが増えたせいか、訃報を聞くことも少なくない。そう考えるとある意味、ここでの暮らしはもしかしたら生命に悲しみを見ることの方が多いのかもしれない。しかし、それがあってこそ、生命に対するリアリティーが生まれると感じる。生命への共感や慈しみは、このリアリティーそのものなのだ。
「今、ここで生きている」という強い実感をヤギの仔と出会い、改めて得る。
この地の暮らしは揺るぎない。



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